猫とたましい

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「猫ブーム」らしいですね。猫好きが犬好きをしのぐ勢いとか。

僕も猫は大好きで、よく道端で話しかけて無視されたりしてます(^_^;)。

ところで、こういう社会現象はその社会に属している人々の心の何かを反映しているんじゃないかと思うのです。「猫ブーム」はどういうコンステレーションだろうと考えていて、そう、そう、確か河合隼雄先生が『猫だましい』という本を書いていらっしゃったと思い出した。

本棚の奥から引っ張り出して、もう一度読んでみる。

 

なるほど、たましいか。

それにしても、なぜこれほどまでにペットが人間の心を惹きつけるのだろう。それは、人間がたましいという不可解な存在をもっているからだと考えられないだろうか。自分の内にあって、捉まえようのないたましいというものが、何かの姿をとって顕現してくる。あるいは、たましいのはたらきを何か外的なもののなかに認める、というとき、ペットがその役割をする。そして、犬よりは猫の方が、たましいの不可解さ、とらえどころのなさをはるかに感じさせるように思われる。(*1)

さまざまな猫の物語については、『猫だましい』を読んでいただくとして、猫が「たましい」と関連していると考えてみると、私たちがいかに心の深いところでたましいに触れることを望んでいるかということじゃないかと思います。

現代社会が失っているからこそ、その失っているものを多くの人が無意識的に欲していて、その役割を猫が担っているのかもしれないなんて考えてみたくなります。

河合先生は「人間という全体存在を心と体に区分した途端に失われるもの、それを『たましい』と考えてみてはどうであろう」とおっしゃっています。

近代はものごとを割り切って考えることによって、随分と生活の便利さを獲得するようになった。しかし、その分だけ「関係性の喪失」に悩まねばならなくった。あらゆるところで、人間関係の希薄化を嘆く声がきこえてくる。それはすなわち、たましいの喪失である。(*2)

 

そして心理療法家の方の仕事は、そのような悩みを持つ人がたましいとの関係を回復するのを援助することです。

そして、かなり強引ですが(^-^;、人がフラワーエッセンスに惹かれるのも、また、たましいとの関係の回復ということがあるのではないかと考えてみたりします。フラワーエッセンスは私たちが自然との関係を通して、たましいとの関係を取り戻すのを援助してくれるのではないかと思うのですが、どう思われますか。

 

*1:河合隼雄 『猫だましい』 2000、新潮社 7p
*2:河合隼雄 『猫だましい』 2000、新潮社 11p
肉球

 

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