フラワーエッセンス集中研修を画策中-フラワーエッセンスをつくる経験を通して

2022年9月1日

フラワーエッセンスをつくる経験を通して

フラワーエッセンスをつくる経験を通して感じてほしいこと

今年の6月24日~26日に2泊3日で、岡山県美作市でフラワーエッセンス集中研修「ウツボグサのフラワーエッセンスをつくるをつくる」を画策しています。もちろん、コロナの状況によって延期もあるかもしれませんが、自然が味方してくれればできるだろうと思っています。

フラワーエッセンス集中研修「ウツボグサのフラワーエッセンスをつくるをつくる」

フラワーエッセンスは誰でもつくれる?

エドワード・バッチ医師は、1934年版の著書 The Twelve Healers and Four Helpers のなかで「あらゆることが自分ででき、望めば植物を見つけてレメディをつくることさえ、自分でできる」(Edward Bach,The Twelve Healers and Four Helpers 1934)と述べています。ですから、ちゃんと手順を踏めば誰でもフラワーエッセンスをつくることは可能です。

これは僕の勝手な想像ですが、バッチ医師は、フラワーエッセンスを通して人々が自分のなかの自然とのつながりを取り戻してほしい。そしてその先には直接自分のために自分でフラワーエッセンスをつくる体験が、さらにそのつながりを深めていってくれるだろうという思いがあったのではないかと思います。

けれども、上の一文は彼の50歳の誕生日に出版された1936年版(彼が生きている間に出版された最後の版)の The Twelve Healers and other remedies からは削除されています。それはなぜか。これも僕の勝手な想像になりますが、フラワーエッセンスを「もの」として理解されてしまうことへの危惧ではないかと思います。

背後にはたらくいのちの「何か」に触れる

確かにフラワーエッセンスはバッチ医師が残してくれた手順を踏めば誰でもつくることができます。けれども、手順さえ踏めば十分かといえば、そうではないと言わざるをえません。フラワーエッセンスをつくるときには、作り手の存在自体が深くかかわってきます。

言い換えると、自分と自然との関係がフラワーエッセンスをつくることに反映されるということです。

たとえば、ゲーテ的な自然観察のアプローチも手順がわかれば誰でも可能です。それは物質としての植物の形や色を丹念にたどること、変化の過程をたどることですが、その手順を通して本当にやりたいことは、変化の過程を内的に追体験することによってその背後にはたらくいのちの「何か」に触れることです。

同じように、フラワーエッセンスをつくる行為も、物理的につくり方を知ることが目的ではなくて、植物が芽吹き、成長し、花を咲かせる、その変化を可能にしているいのちの「何か」に触れることです。

自然への、いのちへの畏敬

植物が芽吹き、成長し、花を咲かせる、その変化を可能にしているいのちの「何か」は、同じように自分のなかにもはたらいている。フラワーエッセンスをつくる経験を通して、そのことを感じてもらえたらと願います。

フラワーエッセンスをつくる経験は自然への、いのちへの畏敬の念とも言うべき感覚を伴う経験になりうると思います。これが可能になるのは、私たちが自分の世界を出て植物に触れるときですが、中には自分の世界に植物を引き入れて理解したつもりになる方がいることも確かだと思います。そういう方には自分の世界を出る練習をしてもらった後に、フラワーエッセンスをつくる体験に進んでいただくのがいいと思います。

同じいのちの「何か」を共有している

どんなに不完全でも、足りないところばかりが気になっても、自分のなかにも、今目の前のガラスのボウルに浮かぶ美しい花たちと同じいのちがはたらいている。芽吹き、成長し、開花するのを可能にしている同じいのちの「何か」がはたらいている。

その意味では物を超えて花と自分は共有している「いのち」があるという感覚です。これは下手をすると危うい世界に踏み込んでしまう危険のある感覚です。だからこそ、そのことを自分に認めたうえで物理的な手順を踏んで、物質としての植物を観察することを丹念に行うのがいいと思っています。それはつまり自分の世界を出て相手の世界に身を寄せてみることだと思います。



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