エルムの物語:「救い手」と等身大の自分

フラワーエッセンスの性質と植物の関係:エルム」の記事の続きです。

3.エルムの物語:「救い手」と等身大の自分

昨年の11月ごろから3か月間くらい僕はエルムのフラワーレメディを飲んでいました。そして「軽く」なりました。どう軽くなったかというと、自分への無意識の期待に応えようとし過ぎなくなったように思います。

エルム -2015/2/1@小石川植物園

エルム -2015/2/1@小石川植物園

そのきっかけは、これまでも何度か経験してきた、「何やってきたんやろ。おれ。」という感じです。自分の役割や仕事をやり遂げることができないんじゃないか、自分には無理なんじゃないか、自分がやってきたことに果たして意味があったのだろうかと、自分を疑って落ち込むというパターン。

そういう自分と一緒にいることができたのはエルムのフラワーレメディのお蔭だと思うのですが、その自分と一緒にいて見えてきたのが、自分は自分に何を期待しているのかということでした。人の期待に応えようとする傾向が自分は強いなと思っていましたが、それは結局「無意識の自分自身の期待」からなんだと気づいたのです。

じゃあ「無意識の自分自身の期待」というのはどこからくるのか。それは理想のヒーラー像であったり、「救い手」という普遍的なイメージにかかわるものなんじゃないか。そういう普遍的な「救い手」のイメージに強く影響を受けているんじゃないか。そう思ったのです。

思い返してみると、等身大の自分よりも、普遍的なイメージ(理想のヒーラー像)に影響されて、そのイメージと等身大の自分とのギャップに落ち込んでいたのです。

普遍的なイメージは個人が引き受けるには荷が大きすぎます。普遍的なイメージを引き受けすぎると、バッチ医師がエルムの解説に書いているように「しかし、時折、自分の担った責務があまりに難しく、人間の力では及ばないかのように感じられ、落ち込んでしまうことがあります」(*1)という状態になるのだと思います。

FESの『フラワーエッセンス・レパートリー』のエルムの解説の項に「自己を『英雄』や『救世主』の役割に当てはめて見ることを止め」という記述があるように(*2)、エルムタイプは「救い手」のアーキタイプの影響を受けているということですね。

利他的な志をもっていて、それを達成しようと果敢に振る舞おうとして個人的なことを超えて役割を引き受けてしまうような傾向にエルムのテーマは関連しているのだと思います。私たちが、なんとか力になりたいと思う時、心の深いところで「救い手」のアーキタイプば活性化します。援助者として活動する人にとって関連の深いテーマなんだと思います。

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エルムのフラワーレメディを服用しながら、そして実際にエルムの木に会いに行ったりしながらそういうことに気づいていきました。

そして、期待されているだろうと無意識に信じる役割に自分を沿わせたり、そういう役割をこなそうと苦闘する自分に気づいたときには、肩の力を抜いてリラックスして、できないことを手放して「個人的な」興味や熱意や軽やかさを自分の中心に置くようにしました。

自分の興味や熱意や軽やかさとつながっている信頼によって、仕事や役割を愉しめばいいんだとエルムは教えてくれるように思います。

 

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*1:ジュリアン・バーナード、マーティーン・バーナード 『Dr.バッチのヒーリング・ハーブス』 スミス・マキコ訳 BABジャパン 2003

*2:パトリシア・カミンスキ/リチャード・キャッツ 『フラワーエッセンスレパートリー』 王由衣訳 BABジャパン 2001

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