SEED1

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大阪SEED1(2015/7/19)質問と回答

質問;「フラワーエッセンスはたましいレベルでの治療に使うことが可能でしょうか?」

思い返してみると、「フラワーエッセンスはたましいレベルでの治療に使うことが可能でしょうか?」という質問のいろんなところに反応して、うまく説明できなかったのですが、僕にとってこの質問は反応するところがたくさんあったという意味で「リアクティブ(レメディ)」だったかもしれませんね(笑)。(笑っていいとこですよ。)

話の流れからいうと、バッチ医師がHeal Thyselfの中で言ってる「病気が肉体の領域に現れる前に、たましいと心の葛藤に気付いて、それを調和させることができれば、病気を防ぐことができる。」ということに関連して意識と無意識の関係とかを説明していたときだったと思います。

意識と無意識とか、たましいとか、治療と治癒とかについて、僕が自分の感覚と自分の経験に一番ぴったりくると思うのは、ユング派の心理療法家・河合隼雄先生の言われていることなので、「こころと体の関係」とか、「たましいって何か」とか、「フラワーエッセンスでおこっていること」などのポイントを、河合先生が『心理療法入門』のなかで書かれていることを確認しながら考えてみたいと思います。

回答

 

(1)こころと体の関係

「心身相関の問題について、きわめて画期的な発言をしたのは、ユング派の分析家、C. A. マイヤーである。彼は心身症の現象はどちらかを原因として他を結果としてみるのではなく、ユングの言う共時的現象として見るべきことを提唱した。つまり、心身症のみならず、こころと体の間にはユングが注目したような意味ある偶然の一致とも言える現象が生じるが、それは非因果的関連として把握すべきであって、どちらかが「原因」であるとして、因果的に考えるべきではない、というのである。」

こころと体の関係はどちらかが原因でもう一方が結果という因果関係では結べない現象で、それはむしろユングのいう共時的現象、つまり意味のある偶然の一致ともいえる現象によって結ばれる関係だということですね。

理論物理学者のデイヴィッド・ボーム博士はこころと体の関係の比喩として次のような例をあげています。

透明な水槽があってその中を一匹の魚が泳いでいるとします。この水槽の直角の関係にある二つの側面の動画を撮影します。これを二枚のスクリーンに並べて映します。私たちに二次元のものしか認識する能力がないとしたら、この二つのスクリーンに映し出された映像はどんなふうに映るでしょう。

3次元の泳ぐ魚を知らない私たちには二つの動画の魚の動きにはある種の相関関係があることに気づくでしょうが、一方が他方の原因であったり、結果であったりという単純な因果関係では結びつけれないでしょう。

こころと体の関係は、この二つのスクリーンに映し出された内容と同じような関係にあるのではないかというのです。

スクリーンに映し出された魚は、実際に泳いでいる魚のある面を映し出していますが、この二つのスクリーンからは泳いでいる3次元の魚そのものを直接知ることはできないわけです。

この二つのスクリーンに映し出されたものよりも高次元の存在があって、こころと体はその高次元の存在の二つの側面だという意味でのたとえです。人間存在というのはそのようなこころと体よりも高次元の存在なのだと。

私たちは人間存在そのものを直接知ることはできず、常にこころという側面か、体という側面からしか近づけないということですね。

こころと体を因果関係で結べないというは、こころに与えた影響が「高次元の存在そのもの」にどのように作用して、その結果体にどんなことが起こるかということを因果的に把握することができないということです。しかもこの「高次元の存在そのもの」はそれ自体自律性をもっていて、機械的に操作できるようなものではないですから。

(2)人間存在=たましい

河合先生は、この「高次元の存在そのもの」を「たましい」と読んでみてはどうかとおっしゃっています。

私たちはたましいそのものを直接知ることはできなくて、たましいの顕われとしてのこころや体の現象としてうかがい知ることができるのみなのです。

そして、人間はこころと体をある程度コントロールできる主体として自我(私の知っている私、私が意識しうるかぎりにおいての私、それは一つのまとまりをもっていて、それなりの主体性をもっています。ユングはそのような統合と主体性の中心を「自我」と呼びました。)をもっていますが、こころと体は両方とも自我の思いのままにはなりません。時には自我の行く手を阻むようなときもあります。

(3)自我とたましいの折合い

「こんな風に考えると、心理療法家は、自我とたましいの折合いのうまくゆかない状況にどう対処していくか、という仕事をしていることになる。そこで、人間はたましいそのものに直接はたらきかけることができないのだから、まずは自我のコントロールをできるだけ弱め、たましいのはたらきを尊重し、それがこころや体の現象としてどう認められるかを見るということになるだろう。そして、治療者は操作的な行為はできるだけ避けることになるだろう。そして、できる限りたましいのはたらきにまかせることになる。」

この河合先生の「自我とたましいの折合いのうまくゆかない状況にどう対処していくか」は、バッチ医師の「たましいと心の葛藤に気付いて、それを調和させる」に見事に重なると思います。

たましいが、こころや体よりも高次元の私たちが直接知ることのできない存在だとしたら、「たましいレベルの治療」というときには、何かを操作したりコントロールして治すということはできなくて、「たましいのはたらきにまかせる」という方向、つまり「治癒」を促すということになるのだと思います。

たましい自体を私たちがどうこうできるわけではなくて、私たちにできるのはたましいの声に耳を傾けたり、いかにたましいとつながって生きるかということだと思います。

そのような意味でフラワーエッセンスがたましいとのつながりを回復することを助けて治癒を促すことが可能かと問われれば、もちろん答えはイエスだと思います。使い手がどのような意識でフラワーエッセンスを使うかに大きく影響を受けるという前提はありますが。

 

※参考文献
河合隼雄著、河合俊雄編、心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI) 岩波書店、2010

 

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