フラワーエッセンスを身近な人に…
フラワーエッセンスを身近な人に…
家族や友人など身近な人と一緒にフラワーエッセンスを使うことができればとてもいいですよね。
花のエッセンスが自由に使えるところにあれば
子どもたちは自然に自分に必要なものを使うようになる、
という話を友人などから聞くことがあります。
僕の経験から言っても小学校低学年くらいになれば、
花の写真を見ながらそれがどんなところに咲いているどんな花で、
その花からつくられるエッセンスがどんなふうに助けてくれるのかを簡単に説明すれば、
自分で必要な花を選ぶことができます。
目を輝かせてフラワーエッセンスを選ぶ子どもたち
中には目を輝かせて生き生きとしてフラワーエッセンスを選ぶ子どもたちがいます。
そしてその選ぶ花の見事なこと!
人は本来そういう力をもっているんですよね。
そういうセッションは本当にこちらが「希望」をもらいます。
そういうとき僕はいつも思い知らされます。
人は本来自分に必要なものは自分で知っていて、
助け手にできるのはそれが自由にはたらくことのできる場をいかに作れるかなんだと。
フラワーエッセンスに自由に触れられる場
だから子どもたちや家族や友人など、とくに自分に近い関係の人にフラワーエッセンスを手渡すときは、
フラワーエッセンスに自由に触れることのできる場をつくったり、選ぶところを見守ったり、手助けしたりするのがいいと思います。
とても近い関係の相手にエッセンスを選ぶのはとても難しいということも理由の一つにあります。
たとえばお母さんが子供のためにプラクティショナーのようにエッセンスを選ぶことができるかと聞かれれば
僕はきっぱりNoと答えます。
お母さんはお母さんであって、親友は親友であって、それが自然なのだから、
その立場でその関係で、フラワーエッセンスに自由に触れることのできる場をつくったり、
選ぶところを見守ったり、手助けしたりするのがいいと思います。
「汝、自らを癒せ」
フラワーエッセンスの種は「フラワーエッセンスがあってよかった」という経験をもつ人によって
人の手から人の手へ受け渡されていけば
その種は必要な場所で必要なタイミングで芽吹く力を持ち続けるだろうと思います。
だから、フラワーエッセンスにとって「手渡す人」の存在はとても重要です。
手渡す人の「フラワーエッセンスがあってよかった」という経験は、
いわばエドワード・バッチ医師の「汝、自らを癒せ」の実践なのだと思うのです。
フラワーエッセンスは自分で自分の健康に向き合うことができるように意図されています。
もし難しい知識や使用法をマスターした専門家にしかできない療法なら、
(もちろん専門家にしかできない仕事があり、専門家は絶対必要なのですが)
専門家任せになってただ言われるままにエッセンスを服用するしかないかもしれません。
自分自身の癒し手になる
けれども、エドワード・バッチ医師が意図したのはそうした形ではなくて、
私たち一人ひとりがフラワーエッセンスを通じて、植物を通して、
自分自身の癒し手になるということなのではないかと思うのです。
フラワーエッセンを通して自分自身の癒しに向き合う人達によって、
その過程で「フラワーエッセンスがあってよかった」という経験をもつ人達によって
フラワーエッセンスの種の生命力は保たれ手渡されていくのだろうと思います。
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