フラワーエッセンスと植物を体を使って理解する

2021年8月25日

フラワーエッセンスと植物を体を使って理解する

フラワーエッセンスと植物の関係について、ジュリアン・バーナードさんの本なんか読むと、とても勉強になります。植物の歴史や生態、人間との関わりや神話の中での役割などさまざまな視点から総合的に解説されていてものすごく説得力があるわけです。その言葉が説得力をもつのはきっと、実際に自分の足で植物のところへ出かけて行き、観察し、指で触れ、香りを嗅ぎ、植物と一緒に過ごすことを通して培われてきた植物への理解が土台としてあるからこそだろうと思います。

そのような情報は僕には「地図」のように重要です。不慣れな土地を歩くには地図が必要です。もちろん地図なしで歩くこともできるけどそれでは効率が悪い。効率が悪いと道に迷いそうになることもある。だから地図があることは本当に「希望」です。

地図を頼りに自分の足で歩いてみる。そうするとですね、もちろん地図の重要性を重々認めた上で、それでも地図は地図、現地そのものではないんだと思うことに出くわします。そうして地図を書き換えて自分の地図をつくっていく。

フラワーエッセンス植物観察

自分の地図をつくる

フラワーエッセンスのことを植物から学ぶには、自分の足で歩いて、自分の体を使って植物のところへ出かけて行って自分の地図をつくるのが一番だなと思います。なぜなら僕らは実際に道を歩くことがないと地図が道そのものだと思い込んでいたりするし、しかもその地図は人がつくったもので自分自身の地図ではない。

同じようなことはセッションについてもいえると思う。たとえば、何か道筋を示してくれるようなセッションを期待して受けに行って、示された道筋によって僕らは希望を見ることができるようになるかもしれません。けれども、それはあくまで人がくれた地図であって自分が歩く道そのものではない。地図はいつでも現実にあわせて柔軟に修正できないといけないし、修正するときにこそ、その人の個性が表れるように思います。

目の前の、現にいまここに生きている人を理解する

逆に道筋を示すような役割をするプラクティショナーも自分が示しているのは地図だと重々知っておかないといけない。下手をすると、というか、こういう危険は誰にでもあるのだけれども、クライエントを地図にあわせようとしてしまう。理論や直観による見立ては現に目の前の人に合わなければ、いつでも修正したり捨てたりできないと。

「体を使って」ということは、いわば目の前の、現にいまここに生きている植物、現にいまここに生きている人を理解しようとする態度なのだと思います。