「セッション」についてもう少し考える

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先の「セッション」の記事で

河合隼雄先生は

『子どもの本を読む』の『思い出のマーニー』についての解説のなかで、

「ところで、老人夫婦のペグさんたちは、今日の優秀な心理療法家がアンナに対してするだろうと思えるのと同様のことをしたのである。つまり、彼らはアンナを好きなり、できるかぎりアンナの自由を尊重し、彼女の内面に触れようなどとは全然しなかったのである。」と述べられている。

と書きました。

河合先生は「人間は個人のたましいを直接には癒すことができない。それはいくら手を差しのべても届かない領域である。われわれはたましいの方からこちらへ向かって生じてくる自然の動きを待つしかない。しかしそのためにはその人をまるごと好きになることと、できる限りの自由を許すことが必要なのである」とも述べてられています。

そして、ここがとても難しいところなんですが、まるごとその人を受け入れて好きになれば、それだけでいいかってこと?

セッションの難しいところはここだと思います。

「現代人と心の問題」という講演の中で河合先生はこうも話されています。

「・・・僕らの仕事の物凄いむつかしいところなんです。その子の立場に立ってというか、その子に心を開いてということと、その子にこちらがなんかしてやるのとは違うんですねぇ。ところが、どーーーしてもはじめは、ついしてやることになります。これはもう物凄い恐ろしいことです。あの、偉そうに言ってますが、今でも私は自分でそう思います。もうこんなむつかしいことはありません。その、心は開いているけれども、何もしないなんてのは、こんなむつかしいことはないですね。・・・」

私たちはその人を受け入れて、共感的に共鳴して、まるごと好きになると、どーしても「してあげたく」なります。

何か有益なアドバイスをしてあげたくなるし、できることなら何か手伝ってあげたくなります。でも、その人に心を開いてその人を丸ごと受け入れようとすることと、何かをしてあげることはまったく違うんだと河合先生は言われています。「物凄く恐ろしい」ことだとも。

もちろん、セッションのなかでのアドバイスがすべて悪いと言っているわけではありません。もっと本質的なあり方の問題です。

河合先生ですら、「偉そうに言ってますが、今でも私は自分でそう思います。もうこんなむつかしいことはありません。」なのだから、僕らに難しいのはもう、当然というか、こんなことできるんかなあって感じです。

何度も何度も、ああ、またできなかったと思うのです。でも、今度こそと思うのです。そこを一番大事にしたいと思うのです。

そして、僕らが心理療法家と違うところは、あとを任せることのできるフラワーエッセンスがあることです。

あとはフラワーエッセンスにバトンタッチです。

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