「癒し」と輝く傷跡について

2024年2月22日

「癒し」ということについて
考えることがあります。
「心が癒える」って
どういうことなんだろうと。

「癒し」というとき、
多くの人は「傷が癒える」という意味での癒しを
思い浮かべるのではないかと思う。
傷が癒えて治る
という意味での癒しを。

その場合傷は、
今の自分にネガティブな影響を与えるもので、
体の怪我や病気の原因のように
治さなくてはいけないものとして
捉えられるように思う。

そのような面がないわけではないが、
そこにたましいと呼べるようなもが
深くかかわるときや、
アイデンティティの問題が
かかわるときには、癒しは
違った意味合いになるように思う。
というか、違った視点で捉えたくなる。

自分自身のことを振り返って思うことは、
癒しは傷が癒えるというよりは、
傷を生きるとでも言いたいような感じだ。
向き合わざるを得ない過程で
ある時期さらなる苦しさを
伴うこともある。

それをこの世界での傷つきと
結び付けられなくはないが、それよりも、
自分のたましいとでもいえるものが
かかわっていると捉える方が
僕にはしっくりくる。

自分の傷を実感して
それを何とか克服しようとする過程で、
同じような傷を深いところで
共有しているかもしれない人たちに出会う。
そうして自分の傷と癒しの意味が
単に自分だけのものでは
なくなってきたように思う。

気づいてみると、
自分をここまで連れて来てくれたのは
傷に他ならない。

傷は単に癒えなければならない
ネガティブなものではなくて、
自分を導き、
自分のなかの未知の可能性を
引っ張り出してくれる存在でもあるように思う。

その意味では癒しは傷を治すというよりは、
傷がその人によって生きられ
(傷がその人を支配するのではなく)
傷(傷跡)が輝き出すことかもしれないと思う。


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癒し

Posted by takahara.daisuke