モンキーフラワー・フォーミュラ(6)…人間と自然のたましいの交流?

★この記事は更新から1年以上経過しています★

 

モンキーフラワー・フォーミュラ(5)からの続きです。(2002年6月に School of Healing Arts and Sciences 主催で行われたハワイ島でのリトリートのフラワーエッセンスを使った取り組みについて書いています。)

 

リトリート終了後、2日間延泊した。
1日はキラウエラ火山へ女神ペレに会いに行き、
もう一日は思う存分海で過ごすつもりだった。

 

海遠足の後は、

毎日海に行くのが待ち遠しかった。

相変わらずプカプカ浮いているだけなのだけれど、

いつも波のリズムが体の中でこだましている。

 

最終日(ハワイを発つ前日)、午前中1時間半ほど海にいた。
そしてついに、潜ることに挑戦した。

初めは立ったまま何度も頭を沈めたり浮かしたりを繰り返す。
次は浅いところで浮かんだ状態から少し頭を沈めてみる。
シュノーケルの使い方に慣れてきたところで今度は実際に潜ってみる。

 

しかし、あれれ、潜れない。
潜ろうと思っても浮いてきてしまう。
どうすりゃ潜れるんだ?

 

夕方また海に戻って潜る練習を再開。
いつの間にか「夢中」になった。
夢中で練習しているうちに潜り方がなんとなくわかってきた。
「これか~」
うれしくて思わず顔がにやける。
わかったらもっと楽しくなって何度も繰り返す。

 

もう魚はほとんどいなくなっていたけれど、関係なかった。
ひたすら潜ることを繰り返す。
「うれしい」

 

この「うれしい」はいったいどこからくるのだろう。
感情を超えたような静かな喜び。
記憶をさかのぼるような懐かしい嬉しさ。
からだの奥からやってくる衝動にまかせて、
潜っては浮き上がり、また潜っては浮き上がる。

 

全身リラックスさせて、両腕を体の横にくっつけて
背骨をイルカのように(?)波打たせて進む。
海底の砂ぎりぎりのところを少し進んでは浮き上がる。

 

それをただひたすら、何十回も繰り返す。
きっと人が見たら「とりつかれている」と思うだろう。
自分でも「とりつかれたように」という言葉はこういう時に使うべきと思った。

 

この日も何度か海がめに出会った。
まるで空を飛ぶかのように沖に向って泳いでいく。
後についてしばらく同じリズムで泳いでみる。
…このまま行けば間違いなく竜宮城…
さらに沖へと向う彼に「ありがとう」を言って別れる。

 

気が付くと海の中には自分一人。

 

あたりは暗くなり始めていた。

 

腕時計を見ると午後7時。

 

2時間以上海の中にいたことになる。

 

 

 

水平線の上には夕陽があった。

 

海に漂いながら夕陽が海に消えていくのを見守った。

 

 

 

細胞の中に眠っていた遠い記憶が目覚める。

 

人間と自然が互いの魂でかかわっていた頃の記憶・・・

 

モンキーフラワー・フォーミュラを服用しながらハワイ島で経験したことはこれで終わりです。僕にとってこの経験、恐れと憧れが一つに溶け合う経験は、その後フラワーエッセンスの両極性を腹から理解する土台になりました。

海への焦がれるような憧れがあるからこそ、恐れがある。・・・同じように、消えることのない希望の光をもつたましいだからこそ、絶望を経験する。自分を開いてあたたかな交流をすることを何より喜びとするたましいだからこそ、疎外感や孤独を感じる・・・。

光と影、それらは両方で全体。フラワーエッセンスはそれを思い出させてくれる。そして、かたまった心がより解けていけばいくほど、自由になればなるほど、より全体になればなるほど、放っておいてもたましいは光の方を目指す。

なぜなら、それが生命の本質だから。植物が光に向かって花開くように。

 

 

ハワイ島の夕日

 

 

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