大切にしたいこと

大切にしたいこと

AFET(Association for Flower Essence Therapy )は2009年に仲間と立ち上げたフラワーエッセンス療法の発展を目指す非営利団体ですが、次の日曜日にはAFE主催で、熊本地震の支援活動をフラワーエッセンスを中心に据えて行ってこられた団体の方たちとのインターネット勉強会&交流会「フラワーエッセンス熊本地震支援活動」を行います。

 

そんなこともあって、阪神淡路や、東日本のときの記録を読んだりするのですが、

人が人を援助するってどういうことなんだろう

人のこころに耳を傾けるってどういうことなんだろう」と考えるのです。

 

自然災害に限らず、日常の中で人を援助する仕事に携わっている人にも共通の問いだろうと思います。

東日本大震災の3か月後に、哲学者の鷲田清一先生が朝日新聞に寄稿された「「隔たりは」増幅するばかり」という文章があります。

 

被災地ではいま、多くの人が,〈語りなおし〉を迫られている。自分という存在、自分たちという存在の、語りなおしである。(*1)

これはつまり、自分自身との関係の結びなおしを迫られる経験だと思います。

人のこころに触れて援助を行うような仕事で行われることは、フラワーエッセンス療法も含めて、この「自分自身との関係の結びなおし」を援助することだと、僕は思っています。

その意味で鷲田先生が震災から3か月経って書かれた文章には、僕らが肝に銘じておかなければいけないことが書かれてあると思うのです。

 語りなおしのプロセスは苦しいプロセスである。そもそも人はほんとうに苦しいときには押し黙る。(中略) だれかの前でようやっと口を開いても、体験していない人に言ってもわかるはずがないと口ごもってしまうし、こんな言葉でちゃんと伝わっているのだろうかと、一語一語、感触を確かめながらしか話せないから、語りは往々にして途切れがちになる……。

 

語りなおすというは、自分の苦しみへの関係を変えようとすることだ。だから当事者みずからが語りきらなければならない。が、これはひどく苦しい過程なので、できればよき聞き役が要る。マラソンの伴走者のような。

 

けれども、語りなおしは沈黙をはさんで訥々としかなされないために、聴く者はひたすら待つということに耐えられず、つい言葉を迎えにゆく。「あなたが言いたのはこういうことじゃないの?」と。言葉を吞み込みかけているときに、すらすらとした言葉を向けられれば、だれしもそれに飛びついてしまう。他人がかわりに編むその物語が一条の光のように感じられてそれに乗る。自分でとぎれとぎれに言葉を紡ぎだす苦しい時をまたぎ越して。こうして、みずから語りきるはずのそのプロセスが横取りされてしまう。言葉がこぼれ落ちるのを待ち、しかと受け取るはずの者の、その前のめりの聴き方が、やっと出かけた言葉を逸らせてしまうのだ。聴くというのは、思うほどたやすいことではない。(*2)

 

本当に人のこころに耳を傾けるのは物凄く難しいことですね。

ハッとするような気づきに思えたものも、それが他者がかわりに編んだ物語なら何年も経たないうちに色あせてしまうでしょう。一方で5年、10年経ってもまったく色あせないセッションもあります。

 

人が人を援助するってどういうことなんだろう

人のこころに耳を傾けるってどういうことなんだろう」と考え続けるのです。

 

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*1:鷲田清一「「隔たりは」増幅するばかり」 『有事対応コミュニケーション力』 技術評論社, 2011 p.137

*2:前掲 p.138-139

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