その人の心に起きている現象を共に「経験」する – (2)

その人の心に起きている現象を共に「経験」する – (2)

★「その人の心に起きている現象を共に「経験」する – (1)

セラピストの本領は「共に歩む」ことにあると河合隼雄先生はおっしゃっていたわけですが、セラピストでなくても、人の心に向き合うことを仕事とする人には、基本的態度として「共に歩む」姿勢が求められると思うのです。

ですが、これは口で言うほど簡単なことではないですね。というか、物凄く難しい。相当な訓練が要ります。

 

僕らは「十分に心を開いた聞き方」をすればするほど、「何かしてあげたく」なります。何かしてあげたくなる気持ち自体はとても自然で大事なことですが、僕らは大抵「共に歩む」ことから離れて、というか「共に歩む」苦しさから逃げて、何かしてしまうことが多いと思います。

たとえば、その人の悩みや苦しみが少しでも軽くなってほしいと思うばかりに、その人の体験と共にいることができなくて励ましてしまったり、その人の問いや悩みを自分の経験と照らしあわせてわかった気になったり、それで「自分の」解答を披露してしまったり…ということをしがちです。

それがすべて悪いと言いたいわけではありません。いいか悪いかはそれぞれのケースで判断されることだと思います。けれども、このようなことは基本的態度として「共に歩む」のとはちょっと違います。「その人の心に起きている現象を共に「経験」する」態度からは離れてしまいます。

 

河合先生はこんなこともおっしゃっています。

(学校に行けない子が)「行けなかった」と言ったとき、
「でも行けるよ」って言ったら、
行けなかった悲しみを僕は受け止めてないことになる。
ごまかそうとしている。
「そうか」と言って一緒に苦しんでいるんやけど、
望みは失っていない。
望みを失わずにピッタリ傍におれたら、
もう完璧なんです。
それがどんなに難しいか。(*1)

学校に行けない子が「学校に行けない」という気持ちを表明した時に、「大丈夫だよ、行けるようになるよ」と応じてしまったら、こちらがその子の気持ちを受け止めてない。「ピッタリ傍にいる」ことにはならない。その子の心に起きている現象を共に経験していないと。

その子の心に起きている苦しい気持ち、学校にいくのがどんなに困難かという気持ちにピッタリ寄り添って、それを一緒に感じ、その苦しさに直面してゆく強さがこちら側にないと、僕らはごまかして何か別のことをしてしまう。「共に歩む」ことから簡単に外れてしまう。

 

人の心に寄り添って援助することにかかわる人にとって、自分の心に向き合うことが不可欠な理由の一つはここにあると思います。こちら側の答えや理想を脇に置いて、時にはそれまで身につけたすべての武器を床に置いて、その人がその人自身の物語を紡ぐのを「共に歩む」のは、本当に難しいことだと思います。

 

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*1:河合隼雄、小川洋子 『生きることは自分の物語をつくること

 

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