(「傷を負った癒し手 – 2 (癒し手と影)」からの続き)

癒し手、つまり何らかの形で他者の癒しや治療や援助に携わる人の中で活性化するアーキタイプは、「癒し手」のアーキタイプではない。

そうではなくて、「傷を負った癒し手」のアーキタイプ、「傷を負った者ー癒し手」という2つの極をもったアーキタイプだ。

と、高名なユング派分析家のアドルフ・グッゲンビュール先生(*1)はおっしゃっている。

傷ついた人、病んだ人の中でも、癒し手の中でも、同じ1つのアーキタイプ「傷を負った癒し手(傷を負った者ー癒し手)」が活性化されると。

 

若い頃こんなことは考えてもみなかった。

アーキタイプのこともよく知らなかったが、「傷ついた人」は傷ついた人、「癒し手」は癒す役割を担っている、対極にある別の存在だと、あまりはっきりとした意識もないままに、そう思っていた。

けれども、そうではなかった。

傷ついた人の中でも、癒し手の中でも、同じ1つのアーキタイプ「傷を負った癒し手(傷を負った者ー癒し手)」が布置される。

 

違うのは、傷ついたり、病んだ人の場合には、「傷を負った者ー癒し手」のアーキタイプの、一方の極、「傷を負った者」が意識され、もう一方の極、「癒し手」は無意識の中に眠っている。そしてそれは外側の癒し手に投影されることになる。

同じように、治療者や援助者の場合には、「癒し手」の極が意識され、「傷を負った者」の極は無意識の中に眠っていて、それは外側の助けを求めて訪れる人に投影されることになる。

助けを求める人と、その人のために助力する人の出会いとその後の関係には、このように「傷を負った癒し手」のアーキタイプが布置されることになる。

(つづく)

 

—–

*1:A. グッゲンビュール=クレイグ『心理療法の光と影』創元社 1981, 118p
正確には、「治療者の元型というものは存在せず、ただ「治療者ー患者」元型が存在するだけである」。また「治療者というのも患者というのも、同じ一つの元型のそれぞれの一面なのだということになる」と。

Share This