ネット検索していました。自分が昔書いたことを思い出そうとして思い出せなくて、どこかに書いてないかなーと思って。時々そうやって思い出しています(笑)

そうして、何気なく自分が17年前に書いたブログ記事が気になって読んでみました。それが「わたしの中の蝶」という記事で、バイオシンセシスのグループワークに参加したときの経験を書いたものでした。バイオシンセシスのワークショップにそれほど参加したわけではなかったし、全部が印象に残っているわけでもないのですが、このときのことははっきりと記憶にあって、悲しみや痛みの、その底にある「何か」に触れたような経験でした。

1.わたしの中の「蝶」

わたしの中の蝶

「蝶」= psyche =「魂」

 

上の絵は先日バイオシンセシスのワークショップに参加したときに描いたもの。そのとき内面から涌き出たものを描いたつもりだが、見た人にはことごとく「蝶」に見えると言われ驚いた。

 

そう言われてみれば蝶にも見える。蝶は美しいが、その美しさはとても傷つきやすい。この絵を描いたあと自分の傷つきやすさと向き合い、それをいくらか受け入れることができた・・・。ということでわたしの中の「蝶」のことを少し・・・。

 

2.Star Tulip – Poson Oak – Oak

実はこの組み合わせは、現在わたしが取っているコンビネーションだ。9月の始めに行われたライフスクールの講座に参加された方はご存知の通り、そのときにつくったものだ。テーマは「助けを求め、受け入れること」

 

Oak は自分の限界を超えてまで奮闘することを手放し、必要なときには「もうあかん。助けて」と自己を委ねることを学ぶために。

 

Star Tulip は自分自身の中の繊細で、傷つきやすく、柔らかな部分を認め、それを受け入れることができるように。

 

Poison Oak は人との間に距離を置いたり壁を築いたりすることで、自分の繊細さを隠したり守ったりするのではなく、それを受け入れ自らを開くことで他者との絆を結ぶことができるように。

 

三角形を使って、男性的な性質(Oak)と女性的な性質(Star Tulip)を底辺にして、頂点に他者とのかかわりという社会的なテーマ(Poison Oak)を配置した。いずれもわたしの基本的なテーマ・エッセンスのように思う。このコンビネーションを取り始めて一月余りになるが、それは深いところに届いて、今までしまい込んできた孤独感を揺り動かしているようだ。

 

3.孤独感

子どもの頃からわたしの中にあった「孤独感」。

 

いつもどこかに「本当の自分は誰も理解してくれないんじゃないか」という思い。それはもちろん両親に対しても、兄弟に対しても、友人に対しても同じである。

 

「人は本当には自分を理解してくれない」そんな思いが「孤独感」の真ん中にあった。

 

4.バイオシンセシスの体験

孤独感はバイオシンセシスのワークにもついてきた。人と近づき触れ合いたいという思いと、誰も自分を理解してくれるものはいないという思い。ワークの中でそれに正面から向き合う機会を得た。

 

自分は果たして人と十分触れ合おうとしてきただろうか?

 

触れ合いたいと望む人に自分を開いてきただろうか?

 

自分の繊細さ、もろさ、傷つきやすさ、弱さ・・・を感じ、認める勇気をもっていただろうか?

 

そして相手の中のその部分を感じ、理解しようとしてきただろうか?

 

いつもそれをすっ飛ばして力で相手に近づこうとしてこなかったか?

 

力で相手を近づけようとしてこなかったか?

 

さもなければ力で相手を近づけないようにしてきたのではないか?

 

最後のワークでわたしはしまい込んできた悲しみを経験した。「わたしはなんと一人で頑張ってきたのだろう」。一人で支えてきた堰が切れると、一度に悲しみがやってきた。

 

ペアになってくれた人とふたりでごーごー泣いた。

 

「もうひとりで頑張らなくていいから」ふたりであーあー泣いた。

 

人が自分を理解してくれないのではなくて、人を理解しようとしていなかったのは自分なのだと直感した。理解してくれないと思ってきた人に謝りたかった。「ごめん、ごめん・・・」とまた泣いた。

 

いつか幼い日、本当に助けてほしいときに、本当にそばにいてほしいときに、そうしてもらえなくてひどく傷つき、その傷つきやすさをまもるために、どうせ助けてもらえず傷つくくらいなら最初から助けなど求めるものかと、死んでも一人でやってみせると、こころに誓った日があったように思う。

 

本当は助けてほしいと言いたかった。

 

本当はただそばにいてほしいと言いたかった。

 

それがわかったとき、もう一度涙がこぼれてきた。

 

理由もなくこころの底から泣けてきた。

 

 

 

わたしの中の蝶は少し羽の色を取り戻した。その色がからだ中に染み渡るのを静かに味わいたい。

 

今思うのは、そういう傷がまったく消えてなくなったかというと、確かに傷の存在を感じることはあります。けれども、あの時に感じていたような「人は本当には自分を理解してくれない」といった気持ちをもつことはなくなったし、その痛みを経験したこと自体が、今の人とのかかわりにはなくてはならないものになりました。そういう変化は、この経験だけで起こったわけではなく、こうしたことをきっかけに普段の生活で少しずつ実践する中で起こってきたように思います。

そして、考えてみると、今自分がここにいるのは、ここまで自分を連れて来てくれたのは、その傷の痛みと「わたしの中の蝶」だったように思います。

 

そんなことを思い出して記事を書いてみました。検索を始めた理由の「思い出したいこと」はまだ思い出せていませんが(笑)

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