僕はフラワーエッセンスのプラクティショナーや講座の講師として人の心にかかわる仕事をしているわけですが、そうすると、そういう仕事を選んだ自分の動機は、クライエントの人や受講している人たちの助けになりたい、人を援助したいということだと思っているし、おそらく周囲からもそう思われているだろうと思います。

けれども、このような仕事に正面から向き合っていると、人の心はそんなに単純ではないということがわかってきます。

 

人を助けたいという動機の背後には、人を支配したいとか、人を自分にだけ引き付けておきたいとか、人から必要とされる存在でいるという優越感を満たしたいとかという、まったく正反対の意図が意識の裏で動いているということがわかってきます。「人のために助けになりたい」という思いは、そもそも私心のない純粋な動機と利己的な動機の両方から成り立っているのだと。

もちろん、だからといって「人のために助けになりたい」という思いがその価値を失ったり、矛盾する動機が混ざっているからといってその行いが意味のないものになったりするわけではありません。

 

自分の中のこのような影の動機に気づくことは、あまり気持ちのいいものではありません。けれども、人の心の光と影は人間である限り、両方で全体です。生きている限り「影」がなくなることはないと思います。影の問題は解決したなんて人はいないのです。

じゃあ、なくなることはないんだから、放っておいていいかというと、そういうわけにはいきません。もし放っておけば、「人を助ける」という名目のもとに、自分では気づかずに、あるいは、それとなく気づきながら、助けを受け取るはずの人を自分の支配欲や優越感を満たすために利用するということが起り得るのです。

 

なんでわざわざこんなことを書いたかというと、最近パワハラとか、教師がいじめに加担とか、虐待をめぐる公的機関の対応とか・・・人を導いたり、援助する役割を担った人たち、そういう立場の人たちの対応が社会問題化しクローズアップされています。そうしたことの背景には少なからず「影」の問題が関連しているのではないかと思います。

その視点から見れば、とくに人の心にかかわる仕事に携わる人にとって「他人事」ではなくなります。自分の中の隠れた動機が動いたときに、それが意識にのぼってこなければ、私たちは「その人のため」といいながら、自分の支配欲であったり、優越感であったりを満たすために仕事を行ってしまう危険とつねに隣り合わせです。そして、もしそのようなことに気づかないままでいれば、それはその人を助けるどころか、逆に傷つけてしまったりするような結果を招きかねません。

 

人の心の光と影は人間である限り両方で全体です。光が強くなればなるほど、影は濃くなります。人の心にかかわる仕事に携わる人にとって「影」はなくすことも、ないものにすることもできません。けれども、私たちは「影」にどうかかわっていけばいいかということを学ぶことができます。

——

参考文献:A. グッゲンビュール=クレイグ『心理療法の光と影』創元社 1981

 

Share This