相手の気持ちといっしょにいる (2)

★この記事は更新から1年以上経過しています★

相手の気持ちといっしょにいることは、相手を自分の理解の枠のなかに入れて共通点を見つけようとしないで、自分の理解の枠を出て、自分の思い入れを脇に置いて相手の気持ちにこころを尽くすことかもしれませんね。フラワーエッセンスの植物観察でゲーテの対象的思考(自分の世界を出て対象が自ら語る言葉にひたすら耳を傾ける)を実践しているときのように。

まず、分かる、理解するというのは、感情の一致、意見の一致をみるということではないということ。むしろ同じことに直面しても、ああこのひとはこんなふうに感じるのかというように、自他のあいだの差異を深く、そして微細に思い知らされることだということ。いいかえると、他人の想いにふれて、それを自分の理解の枠におさめようとしないということ。そのことでひとは他者としての他者の存在にはじめて接することになる。(『臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知』河合隼雄/鷲田清一)

 

真の共感が生まれるのは、「思い入れ・思い込み」が描き出した固定したイメージが、なんらかの契機で崩壊して、思いがけない視界がひらけたときです、治療者の体験としては「眼からうろこが落ちた」であり、クライアントの体験としては「通じた」であり、関係の言葉でいうと「出会い」なのです。だからこそ、共感は精神療法でもっとも重要な現象なのです。(『対話精神療法の初心者への手引き』神田橋條治)

オオイヌノフグリ

コメントを送信

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Shares
Share This