神聖なものを守る
先日、ハンズオンヒーリングの体験会を行って改めて気づいたことがあります。
やっぱり、ハンズオンが好きやな、と。
大地とつながって、水とつながって、風とつながって、光とつながって、
自分の中にも息づいている自然を感じて、自分を満たしている自然を呼吸する。
そして、人の体にそっと手を置かせてもらう。
体の声に、その人の自然に静かに耳を傾ける。
神聖な時間。
★ ★ ★
体験会の後、参加者の方から、これまで受けた「ヒーリング」と違うといった感想、施術中のフィードバック、施術後の、こんな変化がありましたというフィードバック・・・などをいただきました。
それをハンズオンを知ってもらうために、ブログ記事で紹介しようと思っていました。これまでセッションの感想などを公表することは最小限にしてきましたが、今回はそのつもりで体験会をやろうと思ったし、事前に、感想やフィードバックは了解を得てブログなどで紹介させてもらうかもしれませんよと前振りもして、実際快く公開を承諾してくださった方もいます。
でも、それはやめることにした。
「セッション」には、それが二人の人間が共有するたった一回きりの時間という意味が含まれます。
確かにヒーラーはエネルギーについての専門家で、アドバイスしたりすることがあるかもしれません。そこでは専門家と一般の人という構図です。けれども、手を置かせてもらうときは違います。そういう構図を超えます。
人の中の自然(もちろん外側もですが)やたましいに耳を傾ければ、それはしぜんに神聖な時間になります。
それはハンズオンヒーリングだけではなくて、すべての癒しの時間に共通すると思います。
神聖なもの、スピリチュアルなものは無暗に外にさらしてはいけない。
というのが僕の考えです。
外にさらすことで、神聖な時間にほころびが生まれ、神聖さは力を失う危険があります。
力を失うどころか、共有されていた時間を引き裂くことさえあると思います。
(ヒーラーに守秘義務が課せられる理由の半分。もう半分はプライバシーの保護。どちらも種子が芽吹くための安全なエネルギーの器のためと思います。)
受けた方が自分の意志で自分のブログに書かれた記事を紹介するならまだしも、ヒーラーのサイトで公表される記事を書くとなった時点で共有された時間の中に余計な力の要素が入り込んできます。
みなさんの丁寧なフィードバックや感想を読ませてもらって、その背景にある神聖なもののためにはそっとそのままにしておくのが一番いいなと思ったのです。
少なくともそれを、自分の仕事をよく見せたいという気持ちのために利用しちゃいかんよねと(^^;
今回はそう思います。
だから、ハンズオンヒーリングを知ってもらうためにできる最大のことは、
いいセッションをたくさんすること。
それに尽きる。
というこで、第2回ハンズオンヒーリング体験会をやります \(^o^)/
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