内面の旅の途中で出会うドラゴンについて

 

ここまで飛ぶフラ教室が大事にしていることをいくつか確認してきましたが、前の記事で一応大きな柱については確認できたので、ここからは大事にしたいと言ってきたことをどうやって実現していくか、実現する過程で経験することをどう乗り越えていくかといったことについて書いてみたいと思います。ここからはちょっとドングリとドラゴンについて・・・

 

内面の旅の途中で出会うドラゴンについて

フラワーエッセンスを日常の心のバランスを整えるために使っているとき、つまり自我の活動の範囲を中心に使っているとき、フツーに言うと、「私」が意識している範囲で使おうとしているときには(余計にややこしくなってる?)、ドラゴンの存在はさほど気にならないかもしれません。

けれど、いったんそこに「たましい」がかかわってくると、自分の中のドングリがかかわってくるような範囲でフラワーエッセンスを使おうとすると、ドラゴンのシッポの気配を感じるようになると思います。

そもそもドラゴンなんかに会いたくないと思っている僕ら(の自我)は、そこを避けて近道をして目的地にたどり着きたいと思うのがフツーです。自我は自分を安全に保つために境界を守って論理的、合理的に考えてドラゴンなんかには近づくべからずという結論を出すでしょう。

それは本当にその通りで、そうやって危険を避けることによって自我は僕らを守ってくれます。それは外側の世界でも、内側の世界でも同じです。

 

けれども、一方で僕らの中のドングリは「自然に」芽吹こうとします。自分が誰かを知ろうとします。たましいはドラゴンの正体を知りたいと望みます。なぜなら、ドングリはそもそも芽吹くものだから。それが内なる自然だから。それが生命だから。

 

たましいの声に耳を傾けることに僕らの自我がGOサインを出せば、遅かれ早かれドラゴンと折り合いをつけながら内面の旅を続けていくことになります。だからといって、今すぐドラゴンに対峙しなくちゃいけないなんてことはない。今はまだその力が自分(自我)にないと思う時は逃げているのが安全です。逃げているのがいいと思う。

 

けれども、いつかは勇気を振り絞ってドラゴンに立ち向かわなくちゃいけないときが来ます。自我の境界がある程度安定して、それを育むもっと大きな安全な器が支えとして機能していれば、それは必ず超えていけます。

 

そして、気がついてみると驚異的に恐ろしくて、どでかいと思っていたドラゴンのはずが、もし向き合ったりしたらきっと世界の終わりだと思っていたドラゴンのはずが、光り輝く玉を抱く純真で神聖な子どもの自分に変身したりします。だからドラゴンを無闇に怖がることはないと覚えておくのもいいと思います。

 

sakura_20120218_12

 

コメントを送信

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Shares
Share This