過去に「原因」を探すことと、ドングリの挑戦

過去に「原因」を探すことと、ドングリの挑戦

過去に「原因」をさがすこと

フラワーエッセンスを使って境界でのエネルギーのやり取りを意識することを前の記事で提案したり、このところ安定した自我を育てることについて書いてきました。この辺のことを考えていて、どうしても気になることがあります。

それは、今がうまくいかない「原因」を過去の経験や環境に還元することについてです。僕らは何かうまくいかないことがあると、自分の過去や環境に原因を探し出してそこに還元したくなります。自分が育った環境に原因があったのではないかとか。幼少期の両親との関係が原因だとか・・・。「インナーチャイルド」を重視してそこに取り組もうというやり方や理論もたくさんあります。

「過去」だけでできてるわけじゃない

もちろん、過去の環境が現在に与える影響が大きいことは紛れもない事実です。けれども、僕らは「過去」だけでできてるわけじゃない!と思うのです。過去の影響は意味がないと言いたいわけではなくて、過去を「原因」だと考えて、そこに還元することは本当に自分を豊かにする方法なのだろうかと疑問に思います。

種子、ドングリ・・・

もっと僕らの中の(外かもしれませんが)種子というか、ドングリに目を向けてもいいんじゃないかと思います。種子やドングリは僕ら一人ひとりがもって生まれた「自分の人生に芽吹き根を張ろうとする」何か、日常の僕らを超えるような何か、たましいみたいなものかな。

過去をドングリの側から見る

過去をドングリの側から見るという視点があってもいいんじゃないかと思います。

僕らが気にかけていないときもドングリはずっと芽吹こうとして孤独なチャレンジをしてきたかもしれない。過去はドングリが芽吹こうと一生懸命チャレンジしてきた結果だとしたら。失敗だったと思う経験も、うまくいかなかった出来事も、もしかしたら一生懸命芽吹こうとしてきたドングリのチャレンジだったのかもしれない。

私とドングリの協力体制

自分が何度も同じ失敗をしていると思ってきたことも、何度もドングリが挑戦してきたのだとしたら、その経験は私とドングリにとってどんな意味があるのだろう。そのときの私とドングリの経験を今に、そして未来にいかすには、私はドングリとどうつながって、どう協力体制をとればいいのだろう。

他の誰かではない私にとっての、そして私と私のドングリにとっての意味。

そんな視点があっていいんじゃないかと思います。

 

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