過去と今のつながりにドングリの側から光を当てる

過去と今のつながりにドングリの側から光を当てる

 

過去に「原因」があるという考え方

過去に「原因」を探すよりもドングリの側からの視点を、ということを書きましたが、もう少し説明しないとだめですね。

過去、とくに人格形成期の両親との関係や、その関係のなかでの傷つきが現在の自分に影響を与えているということを否定するつもりはぜんぜんありません。僕が引っかかっているのは、それを「原因」と捉える考え方です。僕らはそういう考え方や理論に縛られて、身動きできなくなっていたり、余計に迷路に入っていないだろうかと思うのです。

「傷つく」経験と傷を癒す取り組み

人は誰でも人格形成期に「傷つく」経験をします。大抵はそれを意識の光の当たらないところに、あるいは当たりにくいところになんとか収めて乗り越えて成長していくということが、程度の差はあるにせよ誰にでもフツーに起こっていることだと思います。

そうして大人になった僕らの中の意識の光の当たらないところには、そのときの経験を覚えている傷つきやすい子どもが今も住んでいるわけです。

傷つきやすい内面の子どもが危険を感じると

僕らの中でその傷つきやすい内面の子どもが危険を感じると、今目の前で起こっている出来事が、その子が過去に傷ついたときの気持ちや感覚や感情で色付けされるということが大人になった今も起こっているわけです。

もちろん、傷つきやすい内面の子どもは意識の光のあたらないところにいるので、僕らは目の前の出来事以外のことが自分の感じていることに影響を与えているなんて思いません。

傷つきをなんとかしないと今を変えられない?

それで、そういうことが起こっているなら、その時の原因となっている傷を癒そう。その時の傷を癒すことができれば今起こっている出来事に過去の傷つきが影響を与えることが少なくなる。というのがインナーチャイルドを癒そうという取り組みだと思います。

そういう取り組み自体を否定するつもりはありませんが、過去の傷つきが「原因」ということになってしまうと、その傷つきが癒されない限り今の自分は変わらないということになっていまわないでしょうか。そうなると、その取り組みは過去を掘り下げるようなものになってしまいかねません。「傷」はどこまで取り組めば果たしてきれいに癒えるのでしょうか。

フラッシュバック

僕らの中で傷つきやすい内面の子どもが危険を感じたときに起ることは、広い意味での「フラッシュバック」といっていいんじゃないかと思います。意識する前に体や感情が反応してしまう。体感だったり、感情だったり、本人にとって独特のいやな感じ(言葉以前の感覚)だったりが再現されて、今ここで起こっていることにうまく対処できないのが普通です。

過去と今のつながりにドングリの側から光を当てる

そうだとしたら、フラッシュバックを呼び起こしている傷つき自体をどうにかすることを考えるよりは、その影響をできるだけ小さくすることを考える方が安全だし、効率がいいのではないかと思います。

僕らの人生に「芽吹き根を張ろうとする」何か。

日常の僕らを超えて「お前は誰か」と呼びかける声。

人生を通して「私の樹」になろうとするドングリ。

過去の経験自体をなんとかしようとするよりも、原因と結果という因果の鎖で縛られた過去と今のつながりにドングリの側から意識の光を当てて、鎖をほどいていこうという取り組みがあっていいんじゃないかと思います。

 

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