奥にある言葉にならないもの2ーエルムの助けを借りて

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前の記事で、「エルム・タイプは利他的な志をもっていて、それを達成しようと果敢に振る舞おうとして個人的なことを超えて役割を引き受けてしまうような傾向」があるんじゃないかと書きました。FESのフラワーエッセンスレパートリーの解説には、そのような内容の記述があるのですが、それが自分がエルム・タイプじゃないかと思う理由の一つでもあります。

エルム(2015/2/1)

エルム(2015/2/1)@小石川植物園

僕の中には子どものころから「英雄」になりたいという願望があります。

子供なら空想の世界で誰でも思い描くことかもしれません。僕の場合それは身近な英雄で、両親だったり、家族だったり、友達だったりといった、そういう世界での英雄だったと思います。その世界で自分が価値ある存在として認められたいという象徴が「英雄」ということなのかもしれません。

けれども、それは別の見方をすば、自分の価値が本当にどこにあるのか信頼できないという不安の裏返しでもあると思います。

周囲の期待に応えようとすればするほど、自分の本質とは違う自分を生きてしまうこともあるわけで、期待に応えて英雄になろうとすることが返って自分自身への信頼を傷つける結果になるということも起こります。

 

で、最近思うのですが、そういう自分の中の素直な「英雄になりたい」をどこかに置いてきたかもなと。

大人の自分は、理想の「英雄」になろうとすることは、自分の価値を自分自身で認められない裏返しなのだから、そんなことを考えるより自分がやるべきことをやればいいのだと考えます。それは実際そうだと思うのですが、人の評価なんか気にするなと思う一方で、人の評価が物凄く気になる自分がいたりします。いいね!の数が物凄く気になったりね(笑)

確かに「英雄になりたい」には、自分を実際より大きく見せたい気持ちが含まれていますが、誰かの助け手となりたいという純粋な気持ちも含まれています。

どうやら本当に伝えたいことが言葉にならない理由の一つは、自分が封印したものと関係があるんじゃないかと思い始めました。自分が封印したこと、つまり自分の傷と関係あるということですね。エルムのフラワーエッセンスとエルムの木の助けを借りて、その辺に向き合ってみようと思います。

 

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