すべては必然?
「すべては必然」という言葉があります。
僕は正直この言葉が好きではありません。
なんか息が詰まりそうになるんです。
この言葉の意味は、
「物事は偶然に起こっているように見えて実は単なる偶然じゃないんだ」とか、
「偶然のように見えてあとから考えると、起こるべくして起こったとしか思えない」という、
共時性とか、コンステレーションを見るときに見えてくることを言っているのではないかと思うのですが、
それなら、そのままそう言わなくちゃ、と思うのです。
物事が共時的に起こることと、
別々の事象を原因と結果として「必然」で結んだり、
すべてが偶然ではないということとはぜんぜん違うんじゃないかなあ。
ユングはわざわざ「意味のある偶然の一致」と言っているのだから。
僕らの意識は因果関係で物事をとらえると安心するし、
因果で結ぶとコミットできるので、便宜的にこれもしかたないのかなあ。
でも、感情的に考えても、僕はどうにも腑に落ちません。
もし、自分が(あるいは、身近な人が)突発的な災害に見舞われて
すべてを失ってしまったとして、
あるいは、テロや空爆で、
家族とか、友人を失ったとして、
「すべては必然」て、腹からそう言えるだろうか。
もし自分なら、どうしてそれが他ではない「私」に起こったのか、
どうしてそれが家族や友人でなければならなかったのか、
その意味を見出そうとしても、ちょっとやそっとでは見出せずに、、
その問いをずっと抱えて生きていくんじゃないだろうか。
その問いを抱えて生きていく、その生き様自体が
もしかしたら、問いの答えになるかもしれない。
でも、ならないかもしれない。そのあたりが限界です。
もし、同じことを言うんなら、
「すべては必然やから」というよりは
「こんな偶然すごいやろ!」と僕は言いたいな。
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