星と星をつなぐ「私にとって」の意味のつながり

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タイトルから「占星学」関連の記事を連想した方がいらっしゃったらごめんなさい。違います。コンステレーションの話です(^_^;)

前の記事で「すべては必然」という言葉が好きではないと書きました(→すべては必然?)。それをもう少し説明してみたいと思います。

じゃあ、僕自身そんな感覚をもつことはないのかというと、そう言いたくなるようなときがあります。

それは自分に起こったことの意味が腑に落ちた時

 

ジョウビタキ(メス)

ジョウビタキ(メス)

 

一見別々の出来事に、あっ、そういうことか!と自分にとっての全体の意味を見出すことができたときです。つまり、コンステレーション(布置、配置)が見えたとき。そういうときは「すべては必然だったんだ」ていう感覚がありますね。それは物凄く自然な感覚です。

コンステレーションには「星座」の意味もあります。というか、一般には星座の意味ですね。星座にたとえると、一見別々の意味のない星の集まりにしか見えなかったものが、それらをつなぐ自分にとっての意味の線が見えて星座の全体像が姿を現すことです。

このとき「すべて」と言っているのは見えている星々のことですね。意識している出来事とその意味のつながり。

だから、「すべて」と言っても、意味のつながりで結んだ星座全体ということです。その意味のつながりで結ばれていない星は入っていない。

 

そして、その意味は「私にとって」の意味です。

星と星とをつなぐのは誰にとっても共通な因果関係ではなくて「私にとって」の星と星をつなぐ心の道筋であり、内的な光の線です。そこに生まれるのが「私の物語」。

だから、便宜上自分自身のことについて、「すべては必然だった」と使うときは違和感がありません。

私に起こったいくつかのことは、まぎれもなく私にとって全体をつなぐ大きな意味をもっていて、それらはとても無関係な偶然とは言えないという感覚。ユングが「意味のある偶然の一致」と呼んだものです。

厳密に言うと「必然」ではないけれども、星座の全体像がイメージできたときに、それぞれの星の位置を「必然」と言いたくなる感覚です。

 

けれども、これを「すべては必然です」と言ってしまうと、とくに自分以外の人に使ったりすると、ちょっと待てよ、と思うのです。

「あなたに起こっていることはすべて起こるべくして起こっているんですよ」
「すべて例外なく必然ですよ」
「あなたの家族が〇〇の犠牲になったのもすべて必然です」

何かおかしくないですか。

ちょっと極端な例ですが、自分と、自分に起こったこととが原因と結果で結ばれているようなニュアンスを僕は感じてしまいます。

 

本来「私にとっての意味のつながり」は共時的なつながり、つまり外側から見れば偶然の並びに見えるものが「私にとって」は意味のある一致を示している、「私にとって」は物語になるということで、一般的な原因・結果のつながりではありません。

それが因果で結ばれてしまうような感じがしてしまうんです。まだ見えてもいない星と星の間を無理矢理乱暴につないでしまうような…。

 

僕は起こったことの原因がすべて自分にあるとは思いません。どんなに意識的に努力しても僕らの力ではどうすることもできないことが現実にはあると思います。それが「偶然」だと思うのです。

自分という存在を超えて起こること。それはたぶんたましいも超えて自己の領域のこと。

そういう自分を超える「偶然」に敬意を払ってこそ、見えてくるのがコンステレーションではないかと思うのです。

 

もちろん、人から「すべては必然です」と言われて、それをきっかけに「私にとっての意味」を発見される人もいらっしゃるでしょう。

しかし確実に、そう言われて深く傷つく人もいらっしゃるのではないかと思うのです。

それなら僕は、こんな偶然すごいなーって言って感激していたいと思います。

 

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