種子は自分の中の自然の力によって発芽する
冬至まであと3日。スターオブベツレヘムが芽を出すころですね。今年を振り返ってもう古くなったものを捨て、新しい光のサイクルの始まりに、自分の中の新しい種子を祝うには最適な時期です。
植物が教えてくれることで僕が物凄く好きなことは、種子は環境が与えられて季節がくれば、自分で発芽するということです。好きな環境も種子によって違います。穏やかな環境を選ぶ種子もあれば、厳しい環境を選ぶ種子もある。どちらにしても種子は自分の中の自然の力によって自分で発芽するんですよね。
そして、まったく同じ自然の力が私たち人間のなかにもはたらいています。だから、私たちのなかの種子も環境が与えられて季節がやってくれば、自分の中の自然の力によって発芽するのだと思います。

私たちの場合、発芽の環境は実際の環境の歴史、生まれ育った環境とか人間関係とか・・・、そういうものにも確かに影響されますが、実際の環境そのものよりも、その中で自分が自分の種子をいかに大切に守って、そのつながりを深めていくことができるかどうかにかかっているように思います。もちろん、そのことには実際の環境が大きな影響を与えるのですが。
僕はフラワーエッセンスに出会って本当によかったと思うのですが、種子が芽吹くための外的な環境が何かということは、極端なことを言ってしまうと、あまり関係ないと思います。フラワーエッセンスなのか、パンづくりなのか、農業なのか、清掃作業なのか、バーテンダーなのかは、あまり関係ない。
それよりも、フラワーエッセンスをやっていても、バーテンをやっていても、農業をやっていても、ここが好きとか、ここにはこだわるというところが誰にでも絶対あると思うのです。それを大切にして追及していくのがいいと思います。そうすれば、その「好き」や「こだわり」が道を教えてくれるように思います。
それはときには自分の欠点として現れるかもしれませんが、欠点だからとやめてしまうよりも、どうしたらそのこだわりを自分のために生かせるか、どうしたらそのこだわりを人に伝えられるかみたいなことを追及していけばいいんじゃないかと思います。(そういうときにフラワーエッセンスはすばらしいですよね。欠点と思っているものの光の面を教えてくれるのですから。)
たとえば、僕なんか、フラワーエッセンスのなかでも、植物観察にこだわっているわけです。飛ぶフラワーエッセンス教室の各課程でも修了には植物観察会への参加を必須にしているし、SEED3では修了レポート自体が植物観察だし、・・・。どうしてそこにこだわるの?と言われたらどう答えるか、って考えるわけです。
そこに自分で答えを出そうとすると、実際にやりながらじゃないとわからない。それが観察会の実施になったり、フラワーエッセンスを自分のためにつくったりということになるわけです。
自分の好きを、自分のこだわりを人に伝えたい。それにはどう言えば一番いいのだろうと自分に問いかけると、ブログ記事みたいになるわけです(笑) その問い自体が教えてくれることがたくさんあります。導いてくれることがたくさんあります。
それでも、「ああ、伝わらない。わかってもらえない」と落胆することもあります。そういうとき、僕らは自分が大切にしていることが受け入れてもらえないと、自分が拒絶されたと感じがちです。でもそうじゃないと思います。種子は間違っていないし、間違いようがないのです。伝わらない理由を一つずつ克服して超えていったらいいと思います。
自分が本当に好きなことや、こだわっていることはやり続けたらいいし、言い続けたらいいと思います。形を変えて工夫して、それを追及したらいい。その過程には落胆や絶望がついてくると思います。でも、それは「本当に好き」や、「こだわり」がさらに深化しようとしているとき。確かにつらい経験になるかもしれません。けれども、落胆や絶望があるからこそ、希望の灯をともし続ける意味があると思います。
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