「私」にとっての意味とコンステレーション (2)
コンステレーションを読むときには「私」の個性や生き方深くかかわってきます。
因果関係で物事をとらえるときは、「私」は全体の外側にいて原因と結果の道筋を見つけようとしますが、コンステレーションとなると「私」を含めた全体に何がコンステレートしているかを見ることになります。
たとえは、僕が誰か、クライエントの方のコンステレーションを見ようとすると、やっぱり僕自身にとっての意味が重なってきます。外側から、ああこれはこういうコンステレーションですね、なんて頭で読むことはできないと思います。
フラワーエッセンスについては専門家ですが、生きることについては、クライエントの方と同じです。僕が考えるセッションは、フラワーエッセンスの選択以外のところでは、あなたも生きているんですね、僕も生きているんですよという感じが理想です。
自分が生きていること、向き合っていることがあって、クライエントの方が向き合われていることがあって、それらは深さや質は違うかもしれませんが、そこにコンステレーションが見えてくることがあります。
そうすると、僕にとって、その方のためにフラワーエッセンスを選ぶとう仕事は、いろいろわかった専門家が迷っている人をフラワーエッセンスで引き揚げてみたいなことではなくて、同じ生きている人に手渡す花のような意味があると思っています。後で、いやもっとぴったりの花を渡してあげられたんじゃないかと反省することばかりですが。

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