植物観察と真(まこと)の名

2022年5月9日

ゲド戦記

ル=グウィンの『影との戦い ゲド戦記1』を読まれたことはありますか?

そう、ジブリの映画にもなりましたね。

飛ぶフラワーエッセンス教室SEED3では課題図書として読んでもらうのですが、この物語には「影」というテーマだけでなく、「真(まこと)の名」というテーマが出てきます。他にも「均衡」とか大事なテーマが出てきます。

魔法使い

魔法使いってなでしょう?

『英雄の旅』の中でキャロル・ピアソンは魔術師のアーキタイプについて、「自己を癒して変容させ続ける力をもったアーキタイプだ。心の中で、自分や他人のために復活と再生を起こす仲介者として活動する。影を統合して、有益なエネルギーに変容させることができる」と述べています。

要するに、内側の世界を変容させることで、外側の現実に変化をもたらすアーキタイプといえるかもしれませんね。

そして、そういう魔術師のアーキタイプはすべての人の中に息づいているわけです。

魔法使いと真(まこと)の名

「ゲド」という名前は、大魔術師オジオンから成人式のときに告げられた「真(まこと)の名」でした。

彼はもともとダニーという名で呼ばれていました。それは彼が1歳のときに亡くなった母がつけてくれた名前でした。

ダニーの楽しみは、はじめのうちは、まじない師の伯母から教えてもらった魔法を使って「鳥やけものを思いのままにあやつり、その習性などを知っていくことに限られてい」て、村の子どもたちが「ダニーが山腹の牧草地で、しばしば猛禽(もうきん)といるのを見て、彼にハイタカというあだなをつけ」ました。

だから、彼は自分の真(まこと)の名を知るまで、そして、真(まこと)の名を名乗らないときには「ハイタカ」を呼び名として使いました。なぜなら、真の名を告げることは命を差し出すに等しいことだからです。

物語の中で、ゲドは魔法を使うためにあらゆるものの真(まこと)の名を教えられ覚えていきます。それを呼ぶことによって、魔法使いはあらゆるものを支配できるということになっています。なので、自分の真(まこと)の名を教えるのは真に信頼を寄せる相手ということになります。

真(まこと)の名

「真(まこと)の名」とは何でしょう? そのことについて河合隼雄先生は『ファンタジーを読む』の中で次のようにおっしゃっています。

その「真の名」というのは何だろう。たとえば、誰でも何かわけもなくイライラするときがある。そのわけがわからない限り、なかなかそのイライラは収まらない。よく考えているうちに、昼休みに同僚と雑談したときからイライラがはじまったことに気づき、なおも考えていると、その同僚が自分の友人で株で大もうけした人が居た、と言ったことがきっかけらしいとわかってくる。自分はお金など人生ではあまり大切でないと割り切っているのに……と不思議に思っているうちに、自分の父親は「世の中はすべて金や」と口ぐせのように言い、それに強い反発を感じていたことを思い出してくる。この辺りまでくると、父が死んでから長く経つのに未だ父の言葉にこだわっていることや、お金のことは割り切っているなどと大きいことを言っていても、やはり気にしているのだな、といういことに気づいてくる。このようなことを考えているうちにイライラも収まり、仕事に集中できるようになる。つまり、感情の「イライラ」として捉えていたことの「真の名」がわかってきたので、自分の感情を「支配」できてきた、というわけである。(*1)

実際にはそれは真の名かどうかわからないけれども、真の名に近いあたりを知っても、自分で自分をコントロールできるようになるだろう、そんなふうに考えてみると、この物語の魔法使いの「真の名」も私たちの心の中のこととして了解できるかもしれないと。

植物観察と真(まこと)の名

一方、物語の中には大魔術師オジオンがの次のような言葉があります。

そなた、エボシグサの根や葉や花が四季の移り変わりにつれて、どう変わるか、知っておるかな? それをちゃんと心得て、一目見ただけで、においをかいだだけで、種を見ただけで、すぐにそれがエボシグサかどうか、わかるようにならなくてはいかんぞ。そうなってはじめて、その真(まこと)名を、そのまるごとの存在を知ることができるのだから。用途などより大事なのはそっちのほうよ。(後略)

これはフラワーエッセンスの植物観察と同じスタンスです。ゲーテ的な自然観察のアプローチと同じです。 花が咲くときだけではなくて、一年を通して観察を続けて、植物のメタモルフォーゼを知り、「そのまるごとの存在を知ること」。 それが真の名を知ることだと、物語の中で大魔術師は言っています。

植物の真(まこと)の名と「エッセンス」

影との戦い ゲド戦記1』の中で、大魔術師オジオンは、植物の真(まこと)名を知ることは、「根や葉や花が四季の移り変わりにつれて、どう変わるか」を心得て、「一目見ただけで、においをかいだだけで、種を見ただけで」すぐにわかるようになることだと言っています。

フラワーエッセンスの植物観察は、植物が1日を通して、また1年を通して、どのように姿を変えていくかを丹念に観察したり、形や色をそのまま描くことでその植物を心の中に再現できるようにして、その植物の存在全体を理解して、その「エッセンス」に触れようとするものですが、オジオンの言葉と物凄く通じるところがあります。

フラワーエッセンスの植物観察は、植物のところに何度も出かけて行って、その植物に真(まこと)名を教えてもらう作業といえるかもしれませんね。

植物の観察を続けていると、「あっ!」とか「おー!」とか「そうかー」という瞬間があります。

それは、丹念に観察をすることで、自分がその植物にもっていた勝手なイメージや思い込みのようなものが崩れたときや、これまで知らなかったその植物の姿に、そう、自然の不思議!に出会ったようなときです。

ちょっと大げさに言うと、植物が自分にだけ秘密を明かしてくれたんじゃないか、そんな気持ちになるときです。真(まこと)の名(に近い)ものに触れたような・・・。

真(まこと)の名を明かされるとき

そういうときに、自分はどうかと振り返ってみると、植物が真(まこと)の名(に近い)を明かしてくれたというそのことに、自分も影響されるのです。

影との戦い ゲド戦記1』の物語の中では、真(まこと)の名を明かすことは相手が自分を支配するかもしれないことを許すことです。物語の中で、学院の友で正式の魔法使いとなったカラスノエンドウが故郷に帰る前にゲドを訪ね、別れを告げるところがあります。そのとき彼は自分の真の名をゲドに告げ、ゲドもまたその名を彼に告げます。

ただの人間でさえ、よほど信頼している人でなければ本名をあかさないのだから、よりあぶない目にあうことの多い魔法使いともなれば、なおさらのことである。人の本名を知る者は、その人の命を掌中にすることになるのだから。それなのに、カラスノエンドウは自分さえ信じられなくなっているゲドに、真の友人だけが与えうるゆるぎない信頼のしるしを贈り物として差し出してくれたのだ。(*3)

真(まこと)の名を呼び合う

植物を観察していても同じようなことを思うのです。相手の真(まこと)の名を知るには、自分も真(まこと)の名で対峙しないといけないと。…というか、自分が真(まこと)の名で対峙しているときに植物は真(まこと)の名を明かしてくれるんじゃないかと。植物の真(まこと)の名に触れるとき、自分も真(まこと)の名で呼ばれるように感じます。

フラワーエッセンスの植物観察は、植物との間で互いに真(まこと)の名を明かすことかもしれません。そう、フラワーエッセンスは、植物との真(まこと)の名の交流の結果なんじゃないかなあ…と思います。

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*1:河合隼雄『ファンタジーを読む』河合俊雄編、岩波現代文庫 〈子どもとファンタジー〉コレクション 2, 193p-194p

*2:アーシュラ・K. ル=グウィン 『影との戦い ゲド戦記1』清水真砂子訳 岩波書店、38p-39p

*3:アーシュラ・K. ル=グウィン 『影との戦い ゲド戦記1』清水真砂子訳 岩波書店、126p-127p

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2022/5/7(土) 14時~ オオイヌノフグリ植物観察オンライン講座

2022/6/24-26 フラワーエッセンス集中研修「ウツボグサのエッセンスをつくる」

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Posted by daisuke takahara