「糸」と、出会うことと希望

中島みゆき「糸」

ここ数日ずーっと中島みゆきさんの「糸」を聞いています。もろに昭和世代の自分としては「糸」という歌を知らなかったわけではありませんが、かといって好んで聞いたりすることもありませんでした。

先日、なにげなくテレビを見ていたときだったかなあ。流れてきたこの歌に衝撃を受けました。あっ、こんな歌だったんだ!!

まあ、最近全般的に涙もろい傾向は否めませんが(笑)、思わず熱いものがこみ上げてきました。いまのこの状況でこの歌の歌詞が改めて深いところに響いてきました。

出会うこと

大きな意味で「出会う」ということは、確かにこの歌が歌っているようなことなんだなあと。

 

人に出会うにしろ、仕事に出会うにしろ、出来事に出会うにしろ、私たちはいつだって、それがなぜなのか知らないし、いつ出会うのかも知しません。人によってはすべては生まれる前から選んでいるのだよと教えてくれる友人もいますが、どうやら僕はそれをすんなり受け入れられるほど人間ができていないようです。

今回のような危機に出会うことも、それが人生のなかでいつ起こるのか、なぜ起こるのか、私たちは知ることができない。

出会ったものの意味を変えていく力

けれども、私たちは、出会ったものとの関係をどう生きるかを選ぶことができます。どう生きるかを変えることができます。

「なぜ」それが起こったのかを知ることはできませんが、自分にとってそれがどんな「意味」をもつものになるのかを変えることができます。自分がどう生きるかを変えることによって出会ったものの意味を変えていく力。それはたぶん私たち一人ひとりのなかに生まれたときから備わっている最も神聖な力。私たちはそれを「希望」と呼ぶのではないでしょうか。