チェリープラムとエルム——2つの植物が教えてくれた「中心」

チェリープラムとエルム——2つの植物が教えてくれた「中心」

植物から何かを教えてもらったことがありますか。

チェリープラムとエルム。
この2つの植物との体験を、今日は書いてみたいと思います。

それぞれのエッセンスを服用しながら、
植物に会いに行きながら、
自分の「中心に置くもの」が変わっていった話です。


目次

チェリープラム——降り注ぐ光と、幹の黒

満開直前のチェリープラムの花の下で
時間を過ごしたことがあります。

晴れた日にその花の下にいると、
「降り注ぐ光」という印象を受けます。
写真では伝えきれないくらいの光です。

そして花と対照的なのが
幹の黒。

光と影という感じです。
ジュリアン・バーナード氏も
「チェリープラムはまさに光と闇のレメディー」
と書いていますが、
植物の姿かたちがそれを表しています。

何より、
その姿の美しさに心を打たれました。


「思い当たらない」のに、効いた

観察会をきっかけに、
チェリープラムのフラワーエッセンスを
服用しはじめました。

もし観察会を開催していなかったら、
服用することはなかったかもしれません。
解説を読んでも、
とくに思い当たることがないと思っていたので。

しかし、これがとんでもなくヒットしました。

服用して1週間ほど経ったころから、
不安が襲ってきました。
それまで後回しにしてきたことや
保留にしてきたことが
徐々に意識にのぼってきて、
2週間目はかなりきつい状態に。

ちょうどチェリープラムの枝が
入り組んでいるように、
自分の気持ちが入り組んで
いっぱいいっぱいになるような感じでした。

あの降り注ぐ光に、
自分の中の影にも光があたったのかもしれません。


そのままで、美しい

そのきつい時期に本当に支えになったのが、
チェリープラムの花の
美しい姿でした。

2週間余りが過ぎたある日、
美しい鳥の夢を見て、
翌朝なぜか
「自分にやさしくしよう」と思ったのです。

服用期間を通して徐々に、
「美しさ」を自分の中心に置いていいんだと
思うようになりました。

完璧さや理想ではなく、
「美しさ」がもっている
強さや信頼。

チェリープラムは
その光によってそれを教えてくれました。

何かがうまくいかないときに、
ずっとこう考えてきたことがあります。

「自分に何が足りないんだろう」
「自分の何が問題なんだろう」

気がつくと、
自分のできていないところを捜して
言い訳を考えていたりする。

そんな自分が
「美しさを自分の中心に置こう」
と思い始めたのは、
何度もチェリープラムに会いに行き、
フラワーエッセンスを服用するなかで
起こったことでした。

満開のチェリープラムに会いに行ったときに
思ったのです。

美しい。
ただ、ただ、美しい。

そのままで、美しい。
いいときもあれば、わるいときもある。
春も来れば、冬もくる。
けれど、そのままで、美しい。


エルム——どっしりとした幹と、細やかな枝先

エルムの木を初めて見たのは、
12月の小石川植物園でした。

すべての葉を落としていた時期で、
樹形全体がよくわかりました。

なんといっても
その立派な幹が印象的でした。
幹の周囲を実際に計ってみると、
ちょうど5mありました。

同時に幹とは対照的に、
どんどん分岐して先端では
とても細くなる枝の
細やかさが際立っていて、
その二つのコントラストが
印象に残りました。

その年の3月、
観察会の前日に
エルムの木が花をつけた姿を
初めて見ました。

花が咲くと、
木全体の印象が変わります。

冬の青い空を背景に立つ
エルムの姿は
それはそれで堂々として美しい。
けれど花が咲くと、
その堂々とした感じに
何か温度が加わるような、
柔らかさが加わるような
感じがしました。


救い手のイメージと、等身大の自分

前年の11月ごろから3か月間くらい、
エルムのフラワーエッセンスを
飲んでいました。

そして「軽く」なりました。

どう軽くなったかというと、
自分への無意識の期待に
応えようとし過ぎなくなった
ように思います。

きっかけは、
これまでも何度か経験してきた
「何やってきたんやろ。おれ。」
という感じです。

自分の役割や仕事をやり遂げることが
できないんじゃないか。
自分には無理なんじゃないか。
自分がやってきたことに
果たして意味があったのだろうか。

そう自分を疑って落ち込むパターン。

そういう自分と
一緒にいることができたのは
エルムのお蔭だと思うのですが、
一緒にいて見えてきたのが、
自分は自分に何を期待しているのか、
ということでした。

人の期待に応えようとする傾向が
自分は強いなと思っていましたが、
それは結局
「無意識の自分自身の期待」から
なんだと気づいたのです。

じゃあその期待はどこからくるのか。

それは理想のヒーラー像であったり、
「救い手」という普遍的なイメージに
かかわるものなんじゃないか。

等身大の自分よりも、
普遍的なイメージに影響されて、
そのイメージと等身大の自分との
ギャップに苦しんでいたのかもしれません。

普遍的なイメージは
個人が引き受けるには
荷が大きすぎます。


個人的な意味や動機を、中心に

エルムを服用しながら、
そして実際にエルムの木に
会いに行ったりしながら、
そういうことに気づいていきました。

期待されているだろうと
無意識に信じる役割に
自分を沿わせたり、
そういう役割をこなそうと
苦闘する自分に気づいたときには、
肩の力を抜いてリラックスして、
できないことを手放して、
なぜそれを引き受けたかという
自分にとっての意味や動機、
熱意や軽やかさを
自分の中心に置くようにしました。

自分にとっての意味や動機や軽やかさと
つながっている信頼によって、
仕事や役割を愉しめばいい。

エルムはそう教えてくれるように思います。


2つの植物が教えてくれた「中心」

チェリープラムとエルム。

この2つの植物は、
どちらも私に
「中心に置くもの」を
教えてくれました。

チェリープラムは、
完璧さや理想ではなく、
美しさを。

エルムは、
「救い手」の普遍的なイメージではなく、
自分にとっての意味や動機や軽やかさを。

どちらも、
普遍的なもの・理想的なものに
自分を合わせようとし過ぎて
見失ってしまっていた自分が、
植物とともに
自分のところに帰ってくる
そんな体験でした。

植物は言葉を持ちません。
けれど、その姿かたちで、
自分の中にあったのに
気づいていなかったものを
教えてくれることがあります。

チェリープラムとエルムが私にそうしてくれたように、
あなたにとってそういう存在になる植物が、
きっとあると思います。

あなたが今、
自分の中心に置いてみたいものは
何でしょうか。

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