今はない湿地のかわりに——ペットボトルで育てているショウブのこと
昨年の5月、岡山県倉敷市にある
重井薬用植物園を訪ねました。
重井薬用植物園は、しげい病院を運営する
社会医療法人創和会の施設の一つで
岡山県内に自生する植物を中心に、
貴重な植生を守り続けている
自然植物園のようなところです。
その日は88歳の母と一緒に出かけました。
母は園内を長く歩くことが難しく、
見学のあいだは別室で待っていてもらいました。
園内をめぐって戻る途中、
ショウブの植えてあるところで、
園長さんが菖蒲湯のことを話してくださいました。
「端午の節句は過ぎてしまったけれど、菖蒲湯につかってください」と
ショウブを一握り、抜いて手渡してくださいました。
一通り園内を案内していただいて、
母のところに戻り、
改めて園長さんはショウブの風習について
説明してくださいました。
それを聞いていた母が、
途中からその風習について話し出したのです。
端午の節句に、
「ヨモギと一緒に屋根に投げ上げるんじゃ」。
それを母が昔実際にやっていたことを
そのとき初めて知りました。
ショウブという植物のこと

端午の節句に使うショウブ(菖蒲、Acorus calamus)は、
ショウブ科の植物です。
水辺や湿地に生え、
剣のようにまっすぐ立ち上がる葉が特徴。
葉を折ると立ちのぼる独特の香りがあり、
古来「邪気を払う」とされてきました。

6月頃に花を咲かせる
「ハナショウブ」(花菖蒲、Iris ensata)は
アヤメ科の植物で、まったく別の植物です。
風習として使われてきたのは、
香りを持つ前者のほうです。
端午の節句にショウブを
湯に浮かべる「菖蒲湯」は、
その芳香で邪気を払い、
無病息災を願う風習として
広く知られています。
「菖蒲(しょうぶ)」が
「尚武(武道を尊ぶ)」や「勝負」と
同じ音であることから、
鎌倉時代以降、武家社会では
男子の成長を願う節句行事とも
強く結びついていきました。

葉を折ったときに立ちのぼる、あのつよい芳香。
剣のようにまっすぐ天へ向かう葉の姿。
それを「邪気を断つもの」と
感じた人々の身体感覚が
まずあったのかもしれません。
連れて帰った一握りのショウブ
園長さんからいただいた一握りのショウブを、
私は菖蒲湯には使いませんでした。
子どもの頃、実家の近くに小さな湿地があって、
そこにショウブが生えていたのを覚えています。
けれども今はその湿地はもうありません。
一握りのショウブの中に根がついているものが
2、3本あるのに気づいたとき、
これを植えたらどうなるだろう…
そんな気持ちが自然に湧いてきました。
2リットルのペットボトルを半分に切り、
底に水が出入りできるよう穴をあける。
土を入れてショウブを植え、
その下に受け皿を置いて、
いつも水を切らさないようにする。
湿地の環境を、ささやかなかたちで
再現してみました。

枯れて、芽吹く
ペットボトル湿地に植えた一握りのショウブは、
緑だった葉がだんだん茶色くなっていったので、
やはり根づかないかなと思いましたが、
ずっと緑色のままの葉が残り、
なんとか根づいてくれました。
けれども秋になると、
その葉も枯れていきました。
一年草ではないことは知っていましたが、
ペットボトルという小さな環境では
冬の寒さを越すのは難しいかもしれない。
地上部分がすべて枯れてしまった冬の間
私の中で「難しいかもしれない」は、
「無理だろうな」に変わっていきました。
ところが、春になって
色を失った葉の間に
新しい緑を発見したのです。

地下茎で冬を越すとはわかっていましたが、
ペットボトル湿地という困難な冬ももろともせず、
春の光に応えてふたたび地上に姿を見せる。
枯れてしまったと私が見ていたものは、
ショウブの全体ではなかった。
ショウブは地上部分を眠らせて、
見えない地下で春を待っていた。
地下で目覚めるときを待っている
母はもう、菖蒲湯を実践してはいません。
実家の近くの湿地もなくなりました。
けれども、園長さんが
「菖蒲湯につかってください」とくださった
一握りのショウブが
母の中に眠っていた風習の記憶を
呼び起こしました。
そしてそのショウブは、
いま私の手元で、
小さなペットボトル湿地のなかで生きています。
失われたと思っていたものは、
地上部分で見えないだけで、
地下で目覚めるときを待っている。
私たちの周りには、
そして私たちの中には、
そういうものがきっとたくさんある。
あなたの中にも、
地下で目覚めるときを待っているものがあるでしょうか。

ここまで読んでくださってありがとうございました。もし、何か参考になったり、この記事いいなと思われたら、💚のボタンを押していただけるとうれしいです。








ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません