花の記憶、花の物語
花の記憶
誰にでも「花の思い出」や
「花の記憶」というものがあるように思います。
普段は忘れているかもしれませんが、
フラワーエッセンス療法のセッションの中では、
とても重要な記憶がよみがえってくることがあります。
子どもの頃に好きだった花とか、
よく遊んでもらった花とか、
元気づけてもらった花とか…。
人生のある時点で出会った花とか…。
僕も、子どもの頃兄弟げんかなんかすると、
よくレンゲ畑に仰向けに寝ころんで、
気持ちが落ち着くまで
雲が流れていくのを
レンゲの花と一緒に見ていたのを覚えています。
別のところでも書いたことがありますが、
ずいぶん以前のセッションで
こんなこともありました。(*1)
Aさんは社会的な地位のある女性で
子供時代を田舎で過ごした方でした。
進学でその地を離れ、就職し、
結婚して仕事をしながら子育てをして、
すでに子供たちも結婚されていました。
夏には毎年休暇をとって
ご主人と別荘で過ごすのを楽しみにしていました。
Aさんがその年別荘に行ってみると、
別荘の裏のある場所が
一面のスミレの花で覆われていたそうです。
その場所は前年まで大きな木の陰になって
日の当たらない場所だったのが、
枝打ちをしたことで
光が差し込むようになった場所でした。
「まあ、こんなところにいたの!」
それは、何十年も前に
実家の裏に毎年咲いていた、
Aさんが大好きだったスミレの花との再開でした。
その出来事をきっかけにAさんは
FESのバイオレットのエッセンスを服用されました。
その過程で子供時代のことが思い出され、
セッションでは色々なエピソードが語られました。
耳をかたむけていると、
Aさんはまるで自然の中で自由だった
子供時代の自分に再会されたようでした。
実際そうした経験が支えとなって、
以前よりも自分を自由に
表現できるようになられました。
フラワーエッセンスは
誰もが持っている花の思い出や花の記憶、
大切な花との交流の物語を
もう一度結びなおしてくれる存在でもあるように思います。
花の物語
そのような花の記憶はとても個人的なことですが、
それを聞かせてもらうと
本当に胸を打たれます。
おそらく個人の花の記憶の根っこには
普遍的なものがあるんでしょうね。
一方で植物もまた、それぞれの物語をもっています。
植物の物語は、
植物の名前そのものの由来であったり、
神話や民話の中での役割であったり、
長い歴史の中で人間と
どのようにかかわってきたか、
人間にとってその植物が
どんな存在であったかという物語です。
そう考えてみると、
個人の花(植物)の記憶と、
植物の物語との関係は
どうなっているんだろうと思います。
個人の花の記憶の普遍的な部分が
植物の物語になるのかもしれません。
「個人がもっている花の記憶」の中で、
ある地域や文化、あるいは人類全体に共有される部分が
集合的(普遍的)な花の記憶、
花の物語だと考えられないでしょうか。
そうだとしたら、
フラワーエッセンスは
植物のたましい(と呼んでいいかどうかわかりまけんが)と
人間のたましいの普遍的な交流の記憶と
つながっているんじゃないかなんて妄想が膨らみます。
*1:AFET ニュースレター vol.7 「フラワーエッセンス療法と魂の対話4」
※Aさんのエピソードはご本人に許可をとって掲載させていただきました。また、エピソードの一部には影響のない範囲で変更を加えてあります。
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