癒す神/癒しがたい傷に苦しむ神
癒す神/病気や死をもたらす神、癒しがたい傷に苦しむ神
ギリシア神話に詳しいほうではないので、もし間違っていたら指摘していただけるとありがたいです。
アスクレーピオスの系譜は不確定なところがあっていろいろ錯綜しているようですが、アポローンによってコローニスが身ごもったといわれています。コローニスはテッサリアのプレギュアース王の娘。
そしてこれによればアポローンはこの女を愛し、直ちに交わったが、彼女は父の意見に反してカイネウスの兄弟イスキュスを好み、彼と交わったという。アポローンはこれを告げた鴉(からす)を呪って、それまで白かったのを黒くし、女をば殺した。
アポロドーロス(高津春繁訳)『ギリシア神話』岩波文庫(1953 年)Ⅲ-10
コローニスがアポローンによってアスクレーピオスをみごもる。しかし彼女は、おそらく子供が私生児となるのを避けるために、イスキュスとの結婚を願ったので神の怒りを招き、殺される。アポローンはコローニスの不実を烏によって知らされた。それまで烏は白かったが、アポローンはこの悪しき知らせにたいする怒りからそれを黒く変えてしまったのである。
C. A. マイヤー(秋山さと子訳)『夢の治癒力―古代ギリシャの医学と現代の精神分析』筑摩書房 1986 26p-27p
母コローニスは薪の上で火葬されるのですが、アポローンは彼女の死後すぐに火葬台からまだ生まれていない自分の子供(アスクレーピオス)を救い出し、ケンタウロス族(上半身が人間、下半身が馬の姿をした神)のケイローン(キロン)に預けます。
アスクレーピオスはケイローンから医術の技を教えられ、外科医となって死者をも蘇らせるまでになります。それが神の摂理を侵犯したと見なされてゼウスによって稲妻に打たれて死にます。こうして死を遂げたことによって、アスクレーピオスは神格化され神々の列に加えられました。
その誕生といい、死といい、アスクレーピオスは矛盾に満ちています。相反するものを同時に包含しています。そして、彼を取り巻く神々もまた両義性を有しています。
父親のアポーロン自身、殺害する神であり、同時に治療する神でしたし、彼に医術を教えたケイローン(キロン)は上半身が人間、下半身が馬の姿をした神、ケンタウロスで、不治の傷に苦しむ神でした。
ケイローンはヘーラクレースがエラトスを狙って放った矢が膝に刺さったことにより、不治の傷を負ってしまいます。彼は洞窟の中に引きこもって、あらゆる癒しの技を試みますが、その傷が治ることはありませんでした。けれども自分自身が癒えることのない傷を負っているというその事実によって、傷を負った者への慈悲を深め、またあらゆる癒しの技をマスターし、アスクレーピオスの医術の師となります。
母の死から救い出されることで生まれたアスクレーピオスや、癒えることのない傷に苦しむケイローンが教えてくれることは、病気や死をもたらす神や、傷に苦しむ神が同時に癒しの神でもあるということだと思います。
私たちの「内なる癒し手」に語りかける癒しの神もまた同時に傷を負った神であるかもしれないことを忘れないでいたいと思います。
ケイローン…苦しみを共有する傷の知恵
癒えない傷に苦しむ神が同時に癒しの神であったり、傷つける神が同時に癒しの神であるといった神話的な主題は、現代ではなかなか受け入れがたいものかもしれません。
僕らはふつう病気は病気、治癒は治癒として見ているし、傷に苦しむ存在と治療を与える存在とをはっきり分けて考えます。それが合理的な考えです。
けれども、僕らの心の深いところで起こっていることを考えてみると、死と誕生はそれほどかけ離れた存在ではないのかもしれません。死を身近に感じることで新たな生き方に目覚めることもあります。傷つくことを通して人への深い思いやりを身に着けることもあります。古い自分との決別が同時に新しい自分との出会いであったります。
そう考えてみると、光と影の両方を併せ持つ古代の神々は、案外今も僕らの心深くに生き続けているのかもしれません。
昨日と変わらぬ今日を生きていると思っている私たちの心の深いところでは、大小さまざまな「死と再生」の物語が繰り広げられている、なんて考えてみるのはどうでしょう。
最後には偉大な癒しの神となったアスクレーピオスの誕生が、死んだ母親の胎内から救い出されることによってもたらされたことはとても象徴的です。また、彼に医術を教えたケイローン(キロン)は癒えない傷に苦しみ、自らの傷を癒そうと努力することによって偉大な癒しの教師となったこともまた象徴的です。
カール・ケレーニイは『医神アスクレピオス』の中で、ケイローンの物語について次のように述べています。
したがって、この神話物語に述べられた根源の医師、明るい医神の前段階にして先駆者の医師が、後世のために具現化した根源の学問は、あたかも治療を行う者が永遠にその苦しみを共有する傷の知識にほかならなかったような印象がある。(*1)
カール・ケレーニイ(岡田泰之訳)『医神アスクレピオス: 生と死をめぐる神話の旅』白水社, 1997, 140p-141p