エドワード・バッチ(Dr. Edward Bach)
エドワードバッチ
エドワード・バッチ(Dr. Edward Bach:1886-1936)は初めてフラワーエッセンス (フラワーレメディー)を現在のような形で誕生させた人物です。
Healing by Herbs
バッチ医師は50歳の誕生日に、初めてフラワーエッセンスについての講演「Healing by Herbs」を行いましたが、その年の11月27日に亡くなりました。前年には彼が残した38種のフラワーエッセンスのうち、19種のレメディをつくりました。まさに、フラワーエッセンスをこの世界に送りだすための人生であったかのようです。
フラワーエッセンスを使う方には、まずエドワード・バッチの人生がどのようなものであったかをぜひ知っていただきたいと思います。もし彼がいなかったら、私たちは今フラワーエッセンスを手にしていないかもしれないのですから。
医学の道へ
エドワード・バッチは1886年9月24日、英国バーミンガムの近くのモズリーという村に3人兄弟の長男として生まれました。彼は若いころから自然を愛する人でした。一旦は父親の鋳物工場で働きますが、1906年20歳のときにバーミンガム大学に入学し、医学の道に入りました。そして医学の分野で多くの学位を取りましたが、医学の成果に満足せず、痛みのない新たな治療法を求めて常に研究をしていました。
遺された日々を研究に
1914年(28歳)に第1次世界大戦が勃発し、翌年はロンドンで負傷兵の治療にもあたりました。そのような激務の中、31歳のとき大量出血を起こして倒れ、癌で余命3ヶ月と宣告されます。彼は残された日々を魂の声にしたがって研究に捧げる決意をし、研究に没頭しました。すると身体は徐々に回復し、数ヶ月後には健康になっていました。
腸内細菌の研究
研究の成果はワクチンの開発という形で実を結びました。それは腸内の病原性細菌を使ったワクチンで、慢性病治療に優れた効果を発揮しました。腸内細菌を7つのグループに分け、7種類の経口ワクチンをつくったのです。これはバッチ医師が患者の性格と腸内細菌の間に関連があるという洞察を得た最初の発見でした。
性格と回復の関係
彼は患者の振る舞いや回復状態の変化を注意深く観察しました。それだけではなく、患者が内面の葛藤をどのように処理しているかなどにも注目しました。このとき彼は患者の性格や態度が肉体的に与えられた治療よりも、重要な役割を果たしているかもしれないという認識を持ち始めます。
病気は、たましいと心と身体の不調和の結果
つまり、病気はたましいと心と身体の不調和の結果であり、病気が肉体の領域に現れる前に、たましいと心の葛藤に気付いて、それを調和させることができれば、病気を防ぐことができると考えたのです。
病気が肉体の領域に現れる前に、 たましいと心の葛藤に気付いて、 それを調和させることができれば、 病気を防ぐことができる
エドワード・バッチはその葛藤が、2つの基本的な誤りからくると考えました。 1つは、たましいと性格(人格)との不調和、 もう1つは、他者の苦しみに平気でいるような残忍さや、 道徳的に間違った行為を人に対して行うことです。
彼は当時の医学が病気の原因ではなく、 結果ばかりに注目していると考え、 これからの医師には次のようなことが必要だと考えました。 患者が自分自身を理解することを助け、 病気の原因となっているたましいと心の葛藤を見出して、 それを調和に置き換えることができなければならないと。
ロンドン・ホメオパシー病院での 経口ワクチンの開発で成功を手にしたバッチ医師でしたが、 1922年(36歳)にはロンドン・ホメオパシー病院をやめ、 パーク・クレセントの研究室に移り、研究を続けました。
フラワーエッセンス(フラワーレメディ)の誕生
エドワード・バッチは病気を治療するのに より自然のものを使いたいと願い、 7種類の腸内バクテリアの代わりに7種類のハーブを使うことを考えます。 そして、1928年の9月にウェールズに行き、 最初の3つのフラワーエッセンス、 インパチェンス、ミムルス(ミムラス)、クレマティス(クレマチス)を作りました。
エドワード・バッチがつくったフラワーエッセンスの性質については ↓
その年の11月には英国ホメオパシー学会の講演で ある種の植物がバクテリア・ノソードと類似の作用があると述べています。 そして1929年の終わりまでには、 バクテリア・ノソードによる治療をすべてやめ、 1930年のはじめには新しいレメディを見つけるために ロンドンを離れてウェールズのBettws-y-coedの近くの小さな村に移りました。
太陽法の完成
同じ年に北ウェールズのAbersochを訪れ7月まで滞在し、 そこでレメディの抽出方法の1つである太陽法を完成させました。 「汝、自らを癒せ」が書かれたのもこの地でした。 8月にはイングランド東部ノーフォークのクローマーという海岸沿いの小さな町で、 アグリモニー、セントーリ、チコリ、セラト、ヴァーヴェイン(バーベイン)を、 9月にはスクリランサスを発見します。 この年から亡くなるまでの6年間新しいフラワーエッセンスの開発に専念しました。
12 ヒーラーズ
1928年のインパチェンス、ミムルス、クレマティスとあわせると、 1930年までにバッチ医師の発見したフラワーエッセンスは9つになりました。
そして、1931年6月にはウォーターバイオレット(ウォーターヴァイオレット)を、 7月にはゲンチアン(ジェンティアン、ゲンチアナ)を見つけました。 1932年には前年にゲンチアンを見つけたWesterhamに戻って、ロックローズを発見しました。 この最初に発見された12のフラワーエッセンスは12ヒーラーズと名づけられました。 これらは人が本来持っている気質や性格に対応するものと位置づけられました。
また、1931年には「汝、自らを癒せ」('Heal Thyself – An Explanation of the Real Cause and Cure of Disease’)を、 1932年には「汝、自らを解放せよ」('Free Thyself’)を出版しました。
7 ヘルパーズ
1934年までには次の7つのフラワーエッセンス、ゴース、オーク、ヘザー、ロックウォーター、ヴァイン(バイン)、オリーヴ(オリーブ)、ワイルドオートを発見し、後に7ヘルパーズと名づけました。 この7つは日々の生活の中で慢性的になった状態に対応するものです。
セカンド 19
1935年には、次の19のフラワーエッセンスが作られました。 これらはセカンド19、チェリープラム、アスペン、エルム、チェスナットバッド(チェストナットバッド)、ラーチ、ビーチ、ウォルナット、スターオブベツレヘム、ホリー、ホーンビーム、クラブアップル、ウィロウ(ウィロー)、パイン、レッドチェスナット(レッドチェストナット)、マスタード、ワイルドローズ、ハニーサックル、スイートチェスナット(スイートチェストナット)、ホワイトチェスナット(ホワイトチェストナット)と呼ばれ、日常生活で経験する感情や心理状態を乗り越えていくためのものと位置づけられました。
太陽法と煮沸法
前半に作られた12ヒーラーズと7ヘルパーズをあわせた19は太陽法で作られました。 一方後半に作られたセカンド19は1つの例外を除いて煮沸法で作られました。ここでは詳しく述べませんが、製法が変えられた理由は、 エドワード・バッチ 医師が前半の19と後半の19をどのように位置づけていたかということに関連しています。
50年のエドワードバッチ医師の人生とフラワーエッセンス
翌1936年、エドワード・バッチ 医師は50歳の誕生日(9月24日)に、 フラワーエッセンスに関する講演 'Healing by Herbs’ を初めてWallingfordで行いました。 そして、その2ヶ月後の11月27日の夜この世を去りました。 まさにフラワーエッセンス(フラワーレメディー)をこの世に送り出すためにあったようなバッチ医師の人生です。 フラワーエッセンスがこうして生まれ、今わたしたちは手にすることができます。
彼は自身が開発したフラワーエッセンスのつくり方を全て公開していますので、彼が亡くなった後、世界各地でその土地に生育する植物からフラワーエッセンスをつくる人たちが現れ、現在では数え切れないほどの植物からフラワーエッセンスがつくられるようになりました。
そのなかでも、イギリスのヒーリングハーブスや北アメリカのFESは、植物観察や植物研究を通して、固有の植物がどのようなフラワーエッセンスの作用を生み出すかを明らかにし、より社会に根付かせていくことに貢献しようとしています。
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参考文献
・Jessica Bear 『Practical Uses and Applications of the Bach Flower Emotional Remedies』Balancing Essentials Press, 1990
・The Bach Educational Resource