植物のメタモルフォーゼ
葉と花びらは本質的には同じもの、同じ一つのものがメタモルフォーゼしたもの
一本のバラには根があって、
根からは茎が出ています。
茎は節から節へ伸びて、
節からは葉が広がって、
葉の一部は棘になっています。
そして、茎を上にたどっていくと、
葉はだんだんと小さくなって、
葉とは形の違う葉よりも小さな萼が現れます。
そうして小さくなって
エネルギーを内側に蓄えた後、
それまでの緑の世界とはまったく違った
花の世界が現れます。
緑の葉は色をもつ花びらへと変わります。
ゲーテは葉と花びらは本質的には同じもので、
同じ一つのものがメタモルフォーゼ(変形)したのだと
考えました。(*1)
植物の成長をほんのすこしでも観察したことのある人なら、誰にでも簡単にわかることだが、植物の外的部分はときどき変化して、完全であれ、不完全であれ、隣接する部分の形態をとることがある。(*2)
葉や、萼や、花冠や花糸は、葉の次には萼が、萼の次には花冠が、花冠の次には花糸がというふうに、順ぐりに出てくるものであると同時に、葉から萼が、花冠から花糸がというふうに先行するものからでてくるものでもあるのだが、このように植物のさまざまな外的部分がひそかな親縁関係にあることは学者にはつとに広く知られていたし、特別に研究されてもきた。そして多種多様な姿をかえてみせてくれる同一器官のこの働きは、植物のメタモルフォーゼと呼ばれてきた。(*3)
前述したように雌蕊の花柱と雄蕊の花糸とは生成の同じ段階にある。この点を繰り返し述べることによって、拡張と収縮が交互にあらわれる原因がいま一度明らかにされよう。種子からはじまって茎葉の最高の完成にいたるまで、われわれはまず拡張を認めるが、これに続く収縮によって次に萼が生まれるのを見る。だがまた次の拡張によって花弁が、再度の収縮によって雄蕊と雌蕊が生まれる。そしてまもなく果実において最大の拡張が、種子において最大の収縮が認められよう。こうした六段階の歩みをたゆみなく続けながら、自然は植物において男女両性による生殖という永遠の仕事を完成するのである。(*4)
葉から萼へ、
萼から花弁へ、
花弁から雄しべ雌しべへ、
雄しべ雌しべから果実へ、
果実から種子へ
植物は拡大と収縮を繰り返しながら
留まることなく変化し続けています。
植物全体をメタモルフォーゼとして
捉えることができたとき、
素敵なことが起こります。
それは何かというと、
空間に存在するバラだけじゃなくて、
時間の広がりをもって存在するバラを
見ることができること!です。
常に変化し続ける存在としてのバラです。
そして、この見方が人を見るときにも
物凄く役立ちます。
目の前にいる人は、
今現在の姿の背景に、
生まれてから今日までの毎日があって、
歩いてこられた道のりがあって、
いろいろなことがあって、
そうして今日があり、今がある。
そしてまた、その道は明日へと、
未来へと続いている。
そういうその方個人の物語の、
ある一日のある時間に
縁あって私たちは出会っています。
そんなメタモルフォーゼ的な見方ができます。
参考文献
*1:高橋巌著 『シュタイナーの治療教育』
*2:『自然と象徴』 ゲーテ、高橋義人編訳、前田富士男訳 冨山房 1982 166p
*3:『自然と象徴』 ゲーテ、高橋義人編訳、前田富士男訳 冨山房 1982 167p
*4:『自然と象徴』 ゲーテ、高橋義人編訳、前田富士男訳 冨山房 1982 168-169p
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