『発達障害との出会い』の「あるエピソード」を読んで
『発達障害との出会い』の「あるエピソード」を読んで
フラワーエッセンス療法のセッションをやっていると、
発達障害のお子さんのお母さんやお父さんから
時々相談を受けることがあり、
少しでも力になれないだろうかと、
本を探して読んだりするのですが、
何度読んでも胸を打たれる、
というか、ホント恥ずかしいのですが、
読むたびに泣いてしまう文章があります。
それは花園大学心理カウンセリングセンター監修の
『発達障害との出会い こころでふれあうための一歩』
という本の一番最後におさめられている
村瀬嘉代子先生の「あるエピソード」です。
小学校三年生の息子さんのお誕生日会に
はじめて自閉症のKくんを
お招きしたときのこと、
そしてそれをきっかけに
起こったことについて書かれた
3ページくらいの文章です。
次元が違い過ぎて
ほとんど何もコメントできないのですが、
興味のある方はぜひ読んでみて
いただければと思います。
「対人的な反応というのは“相互関係”の中から現れてくる」
「何もコメントできない」だけでは
タイトルを見てクリックしていただいた方に
申し訳ないので、
エピソード以外のところで
村瀬先生が書いていらっしゃることで、
肝に命じておきたいと
思うことを少し書いてみます。
先生は、対人的な反応というのは
相互関係のなかから現れてくると
おっしゃっています。
私たちは明快な因果論で理解すると
スッキリするけれども、
よくよく見てみると、
指の間から砂がこぼれ落ちるように
論理的な考えに当てはまらない事実がある。
それをよく見つめて
「これはなんだろうか」
と問うことが大事なのではないかと
おっしゃっています。
昨今、とくにネット社会では
明快な言説の価値ばかりが
もてはやされているように思いますが、
その対極にある価値について
このような核心を突く言葉を耳にすると、
何かほっとする気持ちになるのは
私だけでしょうか。
そのような眼差しで
「発達障害のなかでも
非常に難しい中核症状を
そろえてもっておられる子どもさん」
とかかわってこられたなかで
器質的な要因が基底にあったとしても
同じ遊戯療法をやっても
その効果はセラピストによって違う
というところに着目されます。
そしてそのような子どもさんたちを
次のように捉えていらっしゃいます。
彼らは人間関係を避けているというより、
不器用で非常に敏感なために
世間の基準で人間関係を結べないのであって、
本当は緻密な観察眼や
デリケートなセンスをもつ
質のいい相手を
欲している人なのではないかと。
「わからなさのなかでつながる」
もう一つ、人の心にかかわって
仕事をする自分にとって、
ものすごく大事なことだと思うことは、
「わかったつもりにならない」
ということです。
「わかりたい」
「知りたい」という強い欲求が
誰のなかにもありますが、
だからこそ余計に
わかったつもりにならないことが
ものすごく大事だと思います。
村瀬先生は、
一義的にわかったつもり、
単一の軸でわかったつもりにならないことが
大切だとおっしゃっています。
臨床家に求められるいちばんの資質は、
”わからなさ、不確定な状況に耐えること“だと。
僕など後から
セッションを振り返ってみると、
不確定な状況に耐えられなくて、
自分が安心するために
言ってしまった言葉に気づいたり、
相手の方の安定を手助けしたつもりが、
実は自分がわからない状況に
耐えられなかったのではないかと
気づいたりして、
反省することがたびたびです。
この「あるエピソード」を読むたびに
人を援助するということの
原点に戻らせてもらっています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。もし、何か参考になったり、この記事いいなと思われたら、💛のボタンを押していただけるとうれしいです。
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