フラワーエッセンスは怪しい?【3つの理由を解説】
フラワーエッセンスは怪しい?
こんなふうに思われている方はいませんか。
フラワーエッセンスには興味はあるけど、
実際効果はあるの? それともやっぱり怪しいもの?
試しに使ってみたけど、
効果なかったから、やっぱり怪しいよ
フラワーエッセンスって
単なるプラシーボ(プラセボ)じゃね?
こんなふうに思う方は多いのではないかと思います。
なぜなら、実際に「怪しい」と思ってしまうのには、理由があるからです。
この記事ではその理由について少し掘り下げてみたいと思います。
フラワーエッセンスが怪しいと思う3つの理由
フラワーエッセンスは1920年代後半から1930年代半ばにかけてイギリス人医師エドワード・バッチによってはじめて開発されました。彼がつくった39のフラワーエッセンスはバッチフラワーレメディと呼ばれ、それ以後につくられたフラワーエッセンスと区別されることがありますが、ここでは両者を区別せずどちらについても該当することについて述べています。
使ったことのない人の場合
理由1:正体がわからない。科学的な説明が難しい。
理由2:使っている人の説明が論理的でない。現実離れしている。宗教っぽい。
使ったことのある人の場合
理由3:使う人に対して、フラワーエッセンスの「効果」は物理化学的な作用ではないことや、そのために選び方や使い方が、私たちが普段使い慣れたものとは違うことを丁寧に説明できていない。
それぞれの理由についてみていきましょう。
科学的な説明が難しい
まず一つ目「正体がわからない。科学的な説明が難しい」から。
この理由が一番大きいと思います。
フラワーエッセンスはエネルギーレメディとも呼ばれ、
私たちが日常的に使っている薬などとは
作用するしくみが違います。
ハーブや漢方のように
植物のもっている自然の癒しの力(薬効)を
物理的に抽出するのではなく、
精妙な情報として水に保存する
という方法でつくられます。
この「情報として水に保存する」ところが
もっとも物議をかもすところです。
そもそも水が情報を保持(記憶)する
なんてことがあるのか?!
この問いに対して
現時点で多くの科学者は「No」と答えるでしょう。
水についてはすべて解明済みと思われていて
水が情報を記憶するなんてことはないと
考える人がほとんどかもしれません。
もちろん、水分子自体については
ほとんど解明されていると言えるでしょう。
しかし、水分子の集合体が
どのように相互作用しているかについては
まだほとんど解明されていません。
しかも、実際には
水の研究をしている科学者自体が
極めて少ないのが現状です。
なぜならこのテーマには
少なからず歴史的な背景があります。
つまり、科学者たちが水の研究から
距離をおくきっかけとなる
2つの大きな出来事がありました。
ポリウォーター事件(1960年代後半)と、
それから約20年後の
ジャック・バンヴェニストと彼のグループによる
「水が接触した分子の情報を記憶している」
という発見に関連する
水の記憶事件です。
ここでは詳細には触れませんが、
この2つの事件の与えた影響は大きく
「水の記憶」についての研究は
真剣に扱われる研究分野ではなく
冗談ネタとして扱われるようになりました。
後になって
ノーベル賞受賞者の
リュック・モンタニエを含む科学者たちによって
バンヴェニストの実験結果を肯定する研究も
行われているにもかからわず、
です。
そして、現在この分野で
非常に注目される研究があります。
ジェラルド・H・ポラック博士の
「第4の水の相」です。
私たちは、水が
個体(氷)、液体(水)、水蒸気(気体)という
3つの相をもっていることは知っています。
ポラック博士は、これら3つの相以外に
4つ目の相があると考えられると
おっしゃっています。
その出発点となったのは、
水に溶解している微粒子が
親水性の物質の表面付近から
排除されるという現象でした。
それはちょうど、氷の結晶が形成されるときに、
水中の細かいゴミが
氷の外に押し出されるのと似ています。
つまり、親水性の物質の表面付近の水は、
それ以外の水とは異なる振る舞いをし、
異なる構造をもっているというのです。
この研究は、水が情報の
記憶媒体となりうる可能性を示唆する
大変エキサイティングな研究です。
説明が論理的でない
次に二つ目の「使っている人の説明が論理的でない」に関して。
これについては僕自身を含め
フラワーエッセンスを使っている側の人間が
大いに反省しなくてはいけない点があると思います。
それは何かというと、
フラワーエッセンスを知らない人の側に立って
わかりやすく段階的に説明することが
できていないと思う点です。
すでに知っている側にとっては
当たり前のことであればあるほど
そこを丁寧に説明する必要があると思います。
あるいは、フラワーエッセンスを
信頼している人の一部には
従来の科学や医学の価値を否定するような形で、
エネルギーレメディーを
位置づけようとする主張があることも事実です。
従来の科学や医学が完璧でないことや、
問題点にばかり目を向けて、
その価値をすべて否定するのは
主張の背景に
別の理由があるように思います。
皮肉なことに
自分の立場だけを絶対視する態度は
自分が信じるものへの真摯な態度というようりは
独善的な信仰に近いと思います。
それはどちらの立場であっても
現実から離れてしまう危険を孕んでいます。
従来の科学や医学の価値を
すべて否定するような形で
フラワーエッセンスを位置づけようとすることは、
返ってフラワーエッセンスの可能性を
狭める結果になるのではないかと思います。
普段私たちが使い慣れたものとは違うことへの説明不足
三つ目は「使う人に対して、
フラワーエッセンスの「効果」は
物理化学的な作用ではないことや、
そのために選び方や使い方が、
私たちが普段使い慣れたものとは
違うことを丁寧に説明できていない」こと。
それでフラワーエッセンスの効果を実感できない
ということが起きている可能性があります。
この説明を「波動」とか「エネルギーの転写」
といった言葉だけで説明してしまおうとすると、
返ってわからなさが増してしまい、
理解への心理的な隔たりが
大きくなってしまうのではないかと思います。
また、「マイナスの感情をプラスに変える」と
説明されることがありますが、
この説明だと普段使い慣れたものと
フラワーエッセンスの違いが
伝わりにくくなってしまうと思います。
薬を選ぶときと比べる
では、私たちが日常で普段使っているものと
フラワーエッセンスの違いを
具体例をあげて比べてみましょう。
日常でセルフケアできる範囲の身体的症状の一例として
たとえば、風邪で発熱して
自分で「薬を選ぶとき」のことを考えてみましょう。
クスリは通常「症状が効能書きの中にあるかどうか」で選びます。
「熱がある」というとき、
体温計で測れば自分で「熱がある」症状を確認できます。
そして「解熱」という効能のある薬を飲めば
熱が下がることを期待できます。
表面に現れた症状を特定して、
症状がどのカテゴリーに分類されるかを確かめ、
その症状を抑える効果のある薬を選ぶ。
目的は現れた症状を消すことです。
このとき、私たちが当たり前に思っている前提は何でしょう?
1.現れた症状(熱)は不要なもの、排除したいもの、悪いものと捉える。
2.症状(熱)は体温計で簡単に計測できる。
3.表面に現れた症状(熱)から薬を選ぶことができる。
4.薬を飲めばほぼほぼ誰でも一様に効果が表れ症状(熱)が改善する。
普段使い慣れたものとフラワーエッセンスの違い
ここに挙げた四つのポイントが
フラワーエッセンスの場合はすべて違っています。
どう違っているかということを
「自信がもてない」から
フラワーエッセンスを選ぶときのことと
比べてみたいと思います。
1.現れた症状を「自信がもてない」だと考えると、基本的にそれを不要なものとか、悪いものとは考えません。心は本来ポジティブな感情も、ネガティブな感情も自由に感じるのが自然です。問題はパターン化して固まっていることです。
自然(いのち)の力から切り離されて自由を失っていることです。身体はいのちの力とつながるとき健康へ向かいます。心もいのちの力とつながるとき、感情を自由に感じ、本来もっている可能性を発揮します。回復力や全体性を取り戻します。嵐に打たれ倒れた植物が陽が差してくれば、また光に向かうように、自由な私たちの心も光に向かいます。
2.「熱」という症状の場合には簡単にわかりますが、フラワーエッセンスの場合には心に向き合って、内面で何が起こっているかに意識を向ける必要があります。
実際にやってみると、簡単に意識できるものもあれば、そう簡単ではないものもあります。とくに自分にとって当たり前のことはなかなか意識しづらいものです。自分では「自信がもてない」のだと思っていても、実際には「恐れ」の方が強いこともあるでしょう。
3.2にも関連していますが、「自信がもてない」という捉え方はとても抽象的です。フラワーエッセンスの場合は表面に現れた状態だけで選ぶのは難しいです。
「自信がもてない」ときの心がどんなふうに動いて、どんな感情を感じるのか、あるいはそこにどのようなパターンがあるかなどをある程度言葉にします。それをフラワーエッセンスの解説と照らして選ぶことになります。
たとえば、ちょっとうまくいかないことがあると自信を失うのか、あるいは仕事の重圧や責任の重さに圧倒されて自信をうしなうのか、あるいは行動する前からきっと自分には無理と思うような自信のなさなのか・・・。
抽象的な言葉ではなくて、自分の内面で起こっていることに具体的に意識を向けてみることになります。これは知的に分析するのではなくて、自分が感じていることに意識を向けることです。「あ~、自分はいまちょっと怒ってるな」とか、「いまの相手の言葉にイラっとしたな」とか。これを続けていくことで自分の内面で起こっていることがわかりやすくなっていきます。
4.薬は化学的な作用によって、ある程度一様にある状態を別の状態に移行させる力をもっています。けれども、フラワーエッセンスは化学的な力をもっていません。
ですから、薬ほどの強制力をもっていません。
フラワーエッセンスは共振/共鳴によってはたらきます。
つまり「響き合う」こと。
響き合うものがなければ作用は起こりませんし、
響き合うものがどんな状態かによって効果の表れ方は違います。
つまり、フラワーエッセンスが作用する心の状態は個人個人違いがあります。
ですから、効果を実感するためにかかる期間も、
その過程で経験されることも個人差があります。
その過程で心の動きが実感されると
「効果があった」という感想になると思います。
実際にはあまり意識されないで気づいてみると
変わっていたということもあります。
どれくらいはっきり意識されるかは
人によってかなり違いがあり、
どれくらい意識的(主体的)に取り組むかによっても違いがります。
まとめ
フラワーエッセンスが怪しいと思われる理由として次の3つを挙げることができます。
1.科学的な説明が難しいこと
2.説明が論理的ではない場合があること
3.フラワーエッセンスの作用の仕組みが普段私たちが使い慣れたものとは違うことへの説明不足
この記事では、具体的な例として解熱剤とフラワーエッセンスを比べて、何が違うのかを明らかにしました。このことを知っていただくと、そもそも「薬が効く」というのと、フラワーエッセンスの「効果があった」ということは同列に並べられないことがわかっていただけたと思います。
この違いを丁寧に段階的に説明する努力が、私たちフラワーエッセンスを使う側の人達に求められています。
補足
「薬ほどの強制力をもっていません」と言いましたが、だからと言ってフラワーエッセンスの力が薬より弱いかというとそんなことはありません。フラワーエッセンスの可能性を最大限に引き出すことができれば、フラワーエッセンスとの出会いは生き方が変わるような大きな機会になりえます。
フラワーエッセンスは私たちの代わりに生きてくれるわけではありませんが、私たちが本来もっている内面の輝きに触れることを可能にしてくれます。私たち自身がそれを磨き、表現していくことを続けて、それを本気で生きるなら、自分でいることや、自分が生み出すものへの信頼と喜びを最大限に育てていくことができると思います。薬よりもはるかに大きな力を発揮してくれると思います。
だからこそ、フラワーエッセンスを魔術的に見せる必要はないし、丁寧に社会に伝えていきたいと思います。
フラワーエッセンスのそれぞれに特徴に興味のある方は以下のページご覧ください。
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