フラワーエッセンスで自分の心のうちを自在にコントロール?
なにげなくネットを見ていたら、フラワーエッセンスを紹介する記事があって、「心の内を自在にコントロールする」ものと紹介されていました。
記事の内容自体がどうというよりは、もしかしたらそれはフラワーエッセンスに対する多くの人の「期待」の表れかもしれないと思います。
「恋人ができる」エッセンスの記事も見かけたことがあるので、そうなるともう「心の内」でさえなくて、自分の望みを自分の代わりに叶えてくれる的な期待ですが、フラワーエッセンスはそういう期待の投影先にもなっているということかもしれませんね。
正体のよくわからないものは人々の半無意識的な期待や願望、あるいは影の投影先になります。(フラワーエッセンスの商材としての面をクローズアップしてちょっと過激な表現を意図的に用いる人の場合も半無意識的な期待や願望に含むとして)
確かに、たとえばミムルスを使って直面できなかったことに直面できたり、動けなかった自分が動くことができたりすると、それはとてもうれしいことで自分の気持ちを「コントロール」できたように感じるかもしれません。
あるいは、ハートを開いて人とつながる喜びにフォーカスするようなエッセンスを服用して、結果的にタイミングよく恋人ができる人もいるかもしれません。
が、それは結果であってすべての人に起こるとは限りませんし、心をコントロールしたり、外的な出来事を変えたりするように見えるのはフラワーエッセンスの全体像ではなくて、個人の部屋の窓から見た景色のように思います。
結果的にそうなる可能性もあるのだから、細かいことを言わなくてもと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕にはとても大事なことに思えます。
なぜなら、フラワーエッセンスが人々の半無意識的な期待や願望、あるいは影の投影先になっているとしたら、その投影を引き戻すことがフラワーエッセンスの真価を多くの人が手にすることになると思うからです。
植物に直に触れるとその思いを強くします。自然の不思議や美しさ、その大きさや力に本当に驚き、心を打たれます。そして、それゆえにその怖さにも思いを巡らせます。それは決して自分の思い通りにコントロールできるものではなくて、自分を超える何かです。
フラワーエッセンスはその自分を超えるものと自分とを整合させていくことを助けてくれるものだと思います。フラワーエッセンスは全体性を回復しようと内から生じていく変化の方向を私たちに示してくれます。
植物観察をするといつも思うのですが、観察する植物について知らなければ知らないほど、僕らは勝手な思い込みをいだいたり、自分の内面の何かを投影しやすいものです。げれども、実際に現に目の前の植物がどうかを調べていくうちに、そしてその植物の元へ何度も足を運ぶうちに、そういう思い込みや投影が抜け落ちて、その植物が本来の姿を見せてくれるようになります。
同じようなことが、「フラワーエッセンス」についてもいえるんじゃないかと思います。そういう意味でもフラワーエッセンスを使う人の一人でも多くの人が植物のところへ出かけて行ってくれるといいなと思います。そういう人が増えれば増えるほどフラワーエッセンスの可能性の扉は最大限に開かれていくと思います。
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