外側の闇と、闇を照らすホリーの光
冬至・・・光の再誕
秋が深まり冬に向かうにつれて、
昼の時間はだんだん短くなり、
やがて冬至を迎えて
自然界の光はもっとも弱まります。
冬至は一年で
最も闇の時間の長い日です。
同時に、この日を境に
光が再び輝きを
増していきます。
古くから太陽信仰の国では、
冬至を光の再誕の日、
生命の誕生の日として、
祝う儀式や催しが
行われてきました。
自然界の営みと内的な経験
現代に生きる私たちは、
自然界の営みと内面とを
切り離して経験していますが、
古代の人々にとっては
それらが分かちがたく
結びついたもの
だったのではないかと思います。
たとえば、私たちは
昇る朝日を見て
神聖な気持ちを経験します。
そう、元旦のご来光って
「ご来光を拝む」っていいますから。
けれども、昇る朝日を
「神」そのものだとは思いません。
一応太陽についての
知識をもっているので、
昇る朝日と神聖な気持ちを
分けて考えることができます。
自然界の営みと
内面の経験を分けて
受け取ります。
そのような知識、
そのようなっていうのは、
対象を自分から
切り離すことで得られる
客観的な知識のことですが、
そういう知識によって
私たち現代人が得たものは
数限りないと思います。
しかし、一方で
失ったものも
決して無視できないと思います。
外側の自然と内側の自然のつながり
それは「外側の自然と
内側の自然のつながり」
とでも言えるでしょうか。
外側の自然と内側の自然が
つながっていることを
リアルに感じられることは、
人間とって
幸せなことではないかと思います。
フラワーエッセンスと、
植物から学ぶことは、
そういう人間にとって
とても大切で豊かな
内と外のつながりを
回復するときの喜びです。
セイヨウヒイラギ(ホリー)とサートゥルナーリア祭(農神祭)、そして冬至
クリスマスツリーに
セイヨウヒイラギが飾られるのは、
古くからの冬至の祝いの伝統が
引き継がれているようです。
赤い実をつける棘のある葉っぱの、
セイヨウヒイラギです。
そして、セイヨウヒイラギは
フラワーエッセンスのホリーが
つくられる植物でもあります。
古代ローマでは
もともと12/17-23の時期に
サートゥルナーリア祭(農神祭)
というお祭りが
盛大に催されていたそうです。
このお祭りは、
ローマ神話に登場する
農耕をつかさどる神、
サートゥルヌス神に
因んだものです。
英語ではサターン、
サートゥルヌス(Saturnus)は
ラテン語で「種を蒔く」
という意味。
それで、盛大に行われた
このお祭りでは、
普段の社会秩序を
逸脱するようなことも許されて、
少なくとも表面上は
奴隷と主人の立場を入れ替えて
振舞ったりすることも
許されたようです。
死と再生の象徴
そしてこのお祭りが終わると
冬至です。
太陽の復活、
光の再誕を祝う日と
なるわけです。
サートゥルナーリア祭では、
人々は太陽の復活の日(冬至)を
迎えるにあたって、
ローソクや贈り物と共に、
セイヨウヒイラギ(ホリー)の小枝を
贈り合ったといわれています。
このような伝統を
後にキリスト教会が
キリストの誕生日として
祝うことにしたのが
クリスマスの始まりではないかと
いわれています。
ちなみに12月25日が
イエス・キリストの誕生日だという
記録は残っていないようです。
また、ケルトの人々は
死と再生の象徴として
セイヨウヒイラギを崇拝し、
冬至にはセイヨウヒイラギを
飾ったと言われています。
エドワード・バッチのケルトの祖先は冬至に家を、キヅタ、ヤドリギとホリーで飾った。
メヒトヒルト・シェファー、ヴォルフ=ディーター・シュトルル著『魂の植物』フレグランスジャーナル社 198p
冬至は昼間がもっとも短い日、
もっとも闇に近い日。
そして同時にこの日を境に
再び光が輝きを
増していく日です。
それは新しい光の誕生であり、
死と再生の象徴でもあります。
もっとも暗い季節に、内側の光を想う
私たちは、外側の自然の周期やリズムから
ある程度離れて
生きていくことができますが、
それから離れれ過ぎると
大事なものを見失うのではないか
と思います。
なぜなら私たちの内側も、
外側と同じ「自然」によって
成り立っているからです。
外側の自然に季節があるように、
内側の自然にも季節があります。
心が冬の時期を迎えることもあるし、
暗闇を経験することもあります。
日々生活していく中で、
私たちの内面では
小さな死と再生が、
そして時には大きな死と再生が
展開しています。
自分の中で
新しい可能性が
芽吹いてくるとき、
それは古い自分が
死を迎えざるを得ないような
タイミングでもあります。
内側の自然にも
そのような季節が
やってくることがあります。
そのときには、
外側の自然から
決して離れることのない
植物の知恵が助けてくれます。
植物から直接学ぶことも
たくさんあります。
フラワーエッセンスという形で
受け取ることもできます。
外側の自然が
もっとも暗いこの季節に、
ここまでの道程を照らしてくれた
自分の内側の光に感謝し、
対話する時間を
もってみるのはどうでしょう。
クリスマスに
セイヨウヒイラギ(ホリー)が飾られるのは、
古くからの冬至の祝いの伝統が
引き継がれてることを書きました。
冬至は、新しい光のサイクルの始まり、
そして「死と再生」の象徴として、
古代の人々にとって
現代人が想像するよりもはるかに
重要な意味をもっていたと思われます。
そのときに人々と
共に過ごしてきた植物が
セイヨウヒイラギだったわけです。
冬至にしても、
クリスマスにしても、
内側の光を称える神聖な時です。
神聖な時間の中で
心を満たすものが
ホリーという植物によって
象徴されるからこそ、
古くからの伝統として
受け継がれてきた
ということだと思います。
ですから、
ホリーのフラワーエッセンスも
私たちの心の神聖な領域に
関連しています。
ホリーのフラワーエッセンス
人の心の中の
神聖で、
温かくて、
純粋で、
豊かで、
力強くて、
自由な領域、
そこから流れるエネルギーで
つながるとき、
他者のことを我がこととして
感じることができる…。
ホリーのフラワーエッセンスは、
そういう心が
自分の中にも確かにあって、
そこから人とつながろうとする気持ちを
思い出させてくれるエッセンスです。
そうじゃない時は
どういう時でしょう。
孤立しているように感じ、
自分だけ疎外されているように感じて
心を閉ざしているとき。
心がカサカサしていたり、
ささくれ立っているようなとき。
「あいつらはいいよなー。
それに比べて…」とか、
「あの人たち気にくわない」と、
恨みがましく思ったり、
嫉妬したり、
「今に見てろ」とか
「ざまあみろ」とか
やたらと敵対心を感じたり、
復讐してやるモードに
入っていたりするとき。
そんなときは、
古代ローマの人々のように、
ホリーの小枝を
贈り合うかのが
いいかもしれませんね。
内面の闇を照らすホリー
といっても日本では、
ホリーの小枝は
それほど手に入らないと思うので、
ホリーのフラワーエッセンスを
自分に贈ってあげてください。
外側の闇が深くなるこの時期を
内側の闇を照らしてくれる
ホリーのエッセンスと
一緒に過ごしてみるのはどうでしょう。
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