「悲しみ」とも名づけ難いほどの感情
「河合隼雄先生の言葉に触れる」読書会(Zoom)で『河合隼雄の幸福論』のなかの「悲しみ」を読みました。そのことについて少し書いてみたいと思います。
「幸福論」というタイトルについて
読書会で取り上げているこの本(『河合隼雄の幸福論』)は、「幸福論」という仰々しいタイトルではありますが、「幸福とは何か」を体系的に論じる本でもなければ、「幸福になるためにどんな生き方をすべきか」を提供するハウツー本でもありません。
「はじめに」にあるように、心理療法家であった河合隼雄先生のもとを訪れる方は、「何らかの意味で不幸な状態」になって、「その不幸を逃れて何とか幸福になりたいという願いをもって」いる方であったり、絶望していて誰かに無理に引っ張ってこられる方であったりします。「そんな方とお会いして、そもそも『幸福』とは何だろうと考えさせられる」と河合先生はおっしゃっています。
この本には、そのとき、そのとき河合先生が出会ったものを契機に「幸福とは何だろう?」というシンプルな問いに向き合われて考えられたことが書かれています。
「深く考えはじめると難しくなるが、そんなのではなく、ちょっと眼鏡をかけ変えることによって、異なるものが見えてくるように、少し見方を変えることによって、幸福が身近になる、ということがありそうである」とも、「全体的な構成のある本ではないので、読者はどこでも自分の好きなところを読んでくださるとよい」とも書かれていますので、構えずに気軽に読める本です。
確かに好きなところから気軽に読める本であることも事実なのですが、個人的には、さらっと書いてある言葉にうなったりします。それは心理療法家としての、とても深い視点で捉えられているところが数多くあるからです。今回読んだ「悲しみ」もその一つです。
『白洲正子自伝』
今回の読書会で読んだ「悲しみ」は、河合先生が『白洲正子自伝』を読まれ、そのなかで白洲正子さんが「この身を八つ裂きにしたい思いに駆られた」と書かれている経験について取り上げています。
その経験とは、自伝の「縁ふかき女性たち」の中で、タチさんという白洲さんの「おつき」の女性についてのことです。タチさんは「私の場合は母が病身だったため、母親の役目も十二分に果たしてくれた恩人」でした。タチさんの結婚や白洲さんのアメリカ留学などによって、しばらく離れていた時期はあったようですが、白洲さんの結婚後「私たちのまま事のような暮らしぶりを見て、とても放っとけないといって舞い戻って来た」タチさんは、それ以来「死ぬまで家にいてくれた」人でした。
白洲さんは「畑仕事をするかたわら、自分の造った麦粉でパンを焼いて」いて、「パンをふくらますために必要なイースト菌は手に入れるのば難しかったが、それをタチさんが伝手を求めて、どこかで探して」来てくれました。「そうしている間に彼女も次第に年をとり、働くのが辛くなって」いって、「彼女の仕事といえば、今はイーストを買うことだけに」なるのですが、当時それはヤミで買うしかなく、タチさんはどこで仕入れたかを白洲さんに教えることはありませんでした。
そのタチさんが、六十八歳の夏に脳溢血で倒れたのです。「忘れもしない、嵐の吹きすさぶ夜半のことで、私はあわてて彼女の部屋へ飛んで行ったが」、そのとき白須さんの脳裏に浮かんだのは、「事もあろうに、『ああ、これでイーストが買えなくなる』ということだった。何という冷酷なことか。何物にも替えがたい数十年の恩愛が、ただのつまんないイースト菌に還元されようとは」。「ほんの一瞬のことだったが、私はこのことが、一生忘れられないし、許すこともできない」。
白洲さんの「この身を八つ裂きにしたい思い」に駆られる悔恨の念について、河合先生は心理療法家として次のように述べられています。「最愛の人や最大の恩人を失う悲しみは、それをモロに受けると、人間はなかなか立ち上がれない ― 時にはそのために死ぬ ― のではなかろうか。それを防ぐために、無意識的な防衛作用が起こって、まったく些細なことに気を取られるものと思われる」と。そうしていったん「悲しみ」から絶縁され、守られて、その後時間とともにその悲しみは戻ってくるのではないか。そのようにして人間は深い悲しみを体験しながらも、それに耐えられるのではないかと。
大切な人を失ったとき、あるいは失いそうになったとき、「まったく些細なこと」に気を取られてしまって、自分はなんて冷たい人間なんだと、自分自身のことを思われたことのある方がいらっしゃるかもしれません。けれども、それは自分が自分を守るための心の巧みだったのかもしれません。
悔恨の念について
以上が「悲しみ」の前半部分です。後半には「次に悔恨の念について。」という書き出しで、次のように続きます。
人間が生きるということの背後には実に深い、『悲しみ』とも名づけ難いほどの感情が流れているのではないだろうか。それは癒され難い傷、ということにもかかわるように思う。
いきなりですか?と言いたくなります。もちろん、白洲さんの「この身を八つ裂きにしたい思い」に駆られる悔恨を受けてのことですが、急にチューニングしている意識のレベルがズーンと変わったような感覚が個人的にはしてしまうのです。
この後の部分は、キリスト教の「原罪」について言及され、これをわがこととして背負える人は少ないのではないか。ましてキリスト教徒でもない人間にとっては、とおっしゃっています。ここは白洲さんが「一生わすれられないし、許すこともできない。」に続けて次のように書かれていることに関連しているのではないかと思います。
ひいては自分の知らないところでどれ程の罪を犯しているのだろう。そのことに想いを及ぼすと、昔の人々が、仏の前で「懺法(せんぼう)」や「悔過(けか)」を修したのも、肝に銘じて過去の罪科を知っていたために他なるまい。私の経験は、他人にとっては取るにも足らぬささやかなことだが、「お水取」のほんとうの意味を知ったのは、それだけとはいえないにしても、そのような出来事があったからである。
ここで、白洲さんは、お水取りという宗教行事が、罪や過ちを懺悔 (さんげ) するために仏前で行う儀式(新暦3月1日~14日の2週間に渡って毎日行われる)で、1270年以上にわたって一度も欠かすことなく続けられてきたことの意味を、「この身を八つ裂きにしたい思い」と共に、身をもって知ったのではないでしょうか。
言い換えると、ここでは白洲さんの個人的経験が、集合的なというか、すべての人のたましいがもっている「悔恨の念」にまで到達した体験だったのではないでしょうか。
だからこそ、白洲さんの仏教的な視点に対して、河合先生は、欧米の個人主義に影響を受ける現代人の私たちはどうかと問われているように思います。キリスト教の場合は「すべての人間は生まれながらに罪を背負っている、ということを、人間が生きていく上での大切な礎石としてる」けれども、「その『原罪』をわがこととしてしっかり背負えるだろうか。ましてや、キリスト教徒でもない人間にとって、これはできない相談である」と。
悲しみの裏打ち
自ら許すことのできない罪を犯してしまった、という想い、その人の一生を通じて常に存在し、その人の行動の背後でいつもかかわりを保っている。おそらく、このような悲しみは、父母未生以前(ぶもみしょういぜん:自分はもちろんのこと、父母も生まれない前の意)のものだろう。
一生を通じて人に影響を与えるような悔恨につながっている悲しみは、父母未生以前のものだろうと、河合先生はおっしゃっています。そのような悲しみは個人的なものではないということですね。そして私たちが「それに気づき、忘れずにいるために」、それに対応するような何らかの現実経験が人生にアレンジされるくるのではないかと。
そして、最後を「このような悲しみの裏打ちなしに、白洲さんのようなのびのびとした人生はあり得ないと思われる」と結ばれています。
非個人的心理療法
悲しみの裏打ちがあってこその、白洲さんのようなのびのびとした人生がある、というときの「悲しみ」とはどんな悲しみなのでしょう。
この「悲しみ」とも名づけ難いほどの感情は、河合先生の心理療法の核心部分だと思います。後半の最初の文、「人間が生きるということの背後には実に深い、『悲しみ』とも名づけ難いほどの感情が流れているのではないだろうか」を読んですぐに、他の書籍で読んだことがある、と思い出しました。それは『ユング心理学と仏教』です。
『ユング心理学と仏教』の第4章「心理療法における個人的・非個人的関係」の「7. かなしみ」を思い出しました。その書き出しはこうです。
人間関係を個人的な水準からのみではなく、非個人的な水準にまでひろげて持つようになると、その底に流れている感情は、感情とさえ呼べないものではありますが、「かなしみ」というのが適切と感じられます。もっとも、日本語の古語では「かなし」に「いとしい」という意味があり、そのような感情も混じったものというべきでしょう。
この「悲しみ」を解説できる力は僕にはまったくありませんので、河合先生がエピローグに書かれていることをご紹介して許していただくことにしたいと思います。
石、木、川、そして風
第4章「心理療法における個人的・非個人的関係」のエピローグでは「転移/逆転移」について、二人の禅僧の逸話が紹介されています。その逸話を受けて次のように述べられています。
われわれが転移と逆転移について考えるとき、親子、愛人、兄弟、友人などの関係について考えてみることが役に立つときがあります。しかし、われわれがそのような方法でばかり考えていると、転移と逆転移をまったく個人的なレベルで理解し、たましいのレベルを忘れがちになります。たましいのレベルでは、われわれは転移/逆転移を人間と、石、木、川そして風などとの関係をモデルとして考えることができます。そのような観点を導入するなら、心理療法の仕事のレベルはより深くなることでしょう。
そして、この後に「1000の風」の詩が「ローゼン博士がその序文を日本の有名な作家の俳句ではじめられたので、私はこのエピローグを作者不明の西洋人の詩でしめくくろうと思います」と前置きされて記されています。
この詩が日本語に訳され、曲がつけられる5年以上前です。
1000の風
私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにはいません。
眠ってなんかいません。
私は1000の風になって
吹き抜けていきます。
私はダイアモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋には
やさいい雨になります。
朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、
私は、そっと光っています。
どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにはいません。
私は死んでないのです。
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