バウンダリーとフラワーエッセンスを選ぶ過程
「私」という意識
僕らは普段「私」という意識をもって、自分と他者を区別したり、自分の内面と外界を区別して、自立した存在として振舞うことができます。それは、毎日を生きると同時に、その経験を「私」の体系の中に収めていくことで、世界ってこんなところとか、自分ってこんな人間みたいなイメージがある程度統一性をもって安定したものになっていくからですね。
自我はそういう安定した体系があるからこそ、過去の経験に基づいて危険から身を守ったり、ある程度自分が期待される役割やキャラクターと自分との折り合いをつけて自分の居場所をつくることができます。
「私」と「私以外」の世界の分離…自我の誕生
けれども、そういう「私」という意識は、最初からあったかというと、そうではないですね。生まれたばかりの僕らは母親と一体、世界と一体で「私」という意識はありません。
それがやがて母親と自分は違う存在だということに気づき始め、自分の振る舞いが自分に起こることに影響を与えることを学んでいきます。たとえば、最初の段階は、お腹が減って泣き出すと口からミルクが入ってきてお腹が満たされるといったことかもしれません。自分の振舞いが自分以外のものに影響を与えて、それが自分に起ってくることに反映されることを学んでいきます。そうして「私」と「私以外」の世界が分離していきます。
その分離にしたがって「私」という意識、自我が生まれてくるわけですね。そして、分離するということはそこに境界(バウンダリー)が生まれます。このような自我の誕生の経緯からいって、僕らのバウンダリーは母親や父親のバウンダリーのあり方や質が土台になるのが普通です。
自我のもつ機能
自我のもつ機能が安定していないと、たとえば、自分と他者を区別したり、自分の内面と外界を区別したりすることがあいまいになったりすると、「ここまでは私の問題で、ここからは私の問題ではない」とか、「ここまでは自分が意図したことで、ここからは衝動的に無意識に反応している」とか、「この部分は外的な現実で、この部分は内的な現実」といった区別が意識されにくくなります。
そうすると、人のことまで自分の責任に感じたり、人の影響を強く受けてしまったり、自分以外のことに無意識にエネルギーを使って消耗したり、外側の出来事に内側のイメージを強く重ねてしまって、現実に起っていること以上に反応してしまったり・・・といったことが起こりやすくなります。
あるいは逆に、自分と他者の区別に柔軟性がなさすぎたり、自分の内面と外界が分離しすぎたりしても、世界とうまく関係を結ぶことは困難です。自我は相反する二つの面をもっていて、それは新しい経験を体系に収めるために「私」の体系を見直して変えていこうとする面と、それが体系の安定を脅かすような経験のときには、体系から排除して安定を守ろうとする面だということを前の記事に書きましたが、この場合自我は新しい経験を「私」の体系から排除して安定を守ろうとするばかりで、発展がありません。無意識に対して開かれた態度どころではなくなってしまいます。
そして、フラワーエッセンス
フラワーエッセンスの取り組み、とくにフラワーエッセンスの作用を「鏡」として自分に向き合いながら、フラワーエッセンスを選んで服用し、そのフィードバックを次の選択にいかしていくような形の取り組みは、無意識に対して柔軟な自我を育てるための助けになると同時に、境界(バウンダリー)を安定させるための助けにもなります。
フラワーエッセンスを選択する過程や、服用期間の経験を通して、自分と自分以外の世界とのやり取りに変化が現れ、新しい視界が開けるとき、それは両親から無意識に学び取った境界(バウンダリー)が変化しようとしているときです。
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