アーキタイプとしてのフラワーエッセンス

アーキタイプとしてのフラワーエッセンス

フラワーエッセンスの2つの極

ジュリアン・バーナード氏が編集された『エドワード・バッチ著作集』を読むと、1932年に書かれた『汝自身を解放せよ』では

各々のハーブがそれぞれ、 人間の特質である長所に対応しています。そして、人をつまずかせる欠点を乗り越えられるよう、ハーブは長所の力を強めるために働きます

エドワードバッチ著、ジュリアンバーナード編 谷口みよ子訳 『エドワード・バッチ著作集』 BABジャパン 2008 144p

とあり、それぞれ のハーブ(フラワーレメディー)に対応する長所と欠点がリストアップされ、ミムルスは「恐れ/思いやり」というように2つの極について表現されています。

バッチは最終的には、フラワーレメ ディを選ぶための簡潔な解説のなかで、ミムルスの「恐れ」をどのような恐れなのか説明していますが、服用することで得られる性質については触れていません。

欠けているものを付け加えることはできない

たとえば、ミムルスやゲンチアンを選ぶときには本人の意識(表層の意識)は「恐れ」や「疑い」を感じていると思うのですが、服用するとそれが「勇気」や「信頼」に変わっていくということが起こります。その過程は人によって一人ひとり違いますが「恐れ」のあるところに「勇気」が、「疑い」のあるところに「信頼」が目覚めてきます。

ミムルスの「恐れ」と「勇気」や、ゲンチアンの「疑い」と「信頼」は一見相反する二つの性質です。(フラワーエッセンスの性質を二つの単語で表してしまうこと自体、適切な表現とは言えないかもしれませんが、話を分かりやすくするためにここは目をつぶりましょう。)まったく正反対の性質のように思われます。

ともすると、フラワーエッセンスが「勇気」の欠けているところに「勇気」を付け加えてくれたり、「信頼」が失われているところに「信頼」を外から運んできてくれるような感じさえします。

けれども、フラワーエッセンスがもし「勇気」や「信頼」を外から運んできて、欠けているところに付け加えるとしたら、そのはたらきを共振作用で説明することはできません。共振作用によって、つまり響き合うことによって、目覚めるものがあるとすれば、それはもともとあるものです。

もともとあるものが目覚める

フラワーエッセンスは欠けたものを付け加えるのではなくて、私たちのこころの中にもともとあるものが目覚めるのを助けるというのがフラワーエッセンスです。

たとえば、私たちが意識しているのは「恐れ」や「疑い」だけれども、こころのもっと深いところには「恐れ/勇気」や「疑い/信頼」の全体があって、「勇気」や「信頼」はこころの中の無意識の中に眠っています。

ミムルスやゲンチアンが思い出させてくれるのは「恐れ」や「疑い」があるところには本来「勇気」や「信頼」の種子があって、それらは両方で全体だということ。そして全体になれば種子は光に向かって芽吹き伸びるということです。それは本来「いのち」がもっている性質です。それよって、私たちのこころの中のまだ光があたっていない無意識のなかに眠っていた「勇気」や「信頼」が意識に芽吹いてきます。

アーキタイプ:普遍的なイメージを生み出す機能

ユングは患者の夢を通して無意識からのメッセージに耳を傾けたわけですが、そうした夢の中に現れるイメージが、ひとりひとりまったく異なる無関係なものではなくて、心の深い層では共通のイメージやテーマが現れることを発見しました。そして、そのような共通のイメージやテーマが個人の夢だけではなくて、精神病患者の妄想や、未開の人々の伝承や、また神話や昔話にも認められることを発見したのです。個人を超えて、民族を超えて、時代を超えて普遍的なイメージが存在することを発見しました。

たとえば、「母なるもの」のイメージは個人を超えて、時代を超えて人類に共有されるイメージです。僕らはそれを学習しなくても生まれながらにもっています。そのようなイメージはいろいろな形をとって神話や昔話の中に表現されているし、僕らの内面でも息づいています。

内面に息づいているというのはどういうことかというと、動物や人間の赤ちゃんを見たとき、どんな気持ちになるかを考えてもらうといいと思います。自然にお母さん的な気持ちになりませんか。お母さんの経験のない人であっても、男性であっても、自然に母性的な気持ちを経験すると思います。それは僕らが心の深い層に、母なるもののイメージを生まれながらに共有しているからだと考えられます。

このように、人間の心の深い層には、個人を超えるような領域があって(集合的無意識とか普遍的無意識と呼ばれる)、その領域には普遍的なイメージやテーマを生み出すような機能があるとユングは考えました。そして、人間の心の個人を超えるような深い層に備わっている、普遍的なイメージを生み出す元となる可能性を「アーキタイプ」(元型)と呼びました。

アーキタイプとしてのフラワーエッセンス(4)

心の深い層には個人を超えて、みんなで共有しているような領域があって、そこには「母なるもの」とか、「父なるもの」とか、「子ども」とか・・・私たちが生まれながらにもっている振る舞いのパターンの可能性アーキタイプの機能が備わっている。ですから、ある状況に遭遇すれば、学習しなくてもアーキタイプのイメージがはたらいて、生まれながらにそれなりの振る舞いをすることができるわけです。

共有しているような心の深い層といっても幅があります。ものすごく深い層のアーキタイプはユングが取り上げたような物凄く基本的なもので、フラワーエッセンスで扱われるアーキタイプは、それらと比べるともう少し層が浅く、重なり合い浸透し合うような形で機能していると思います。

そんなふう考えてみるとフラワーエッセンスが響き合うのも、共有している心の層に備わっているアーキタイプ(生まれながらにもっている振る舞いのパターンの可能性)の機能の1つとして捉えることができます。

アーキタイプの両面性

アーキタイプは二面性両極性をもってます。光と影というか、肯定的な面と否定的な面です。

たとえば「母なるもの」のアーキタイプは、産み育てる面と、呑み込んで死に至らしめる面とをもっています。母性の産み育てる面というのはイメージしやすいと思いますが、呑み込んで死に至らしめる面となると、あまり考えたくないような気持ちになるかもしれませんね。

けれども、たとえば昔話に出てくる「山姥(やまんば)」のイメージなどは、母性の呑み込んで死に至らしめる面を表わしていると思います。あるいは鬼子母神のイメージや物語は母性の両方の面を表わしていますね。死と再生の両方を司る女神が登場する神話も少なくありません。

あるいは、バッチ・フラワーエッセンスのチコリの否定的なパターンを思い出してみると、相手の自由を窒息させてしまうような面として表現されていることが分かります。

そして、そういうことは昔話や神話などの中だけではなくて、僕らの内面でも起こります。子どもを包み込み抱きしめる力が強すぎると、子どもの自立にとってはさまたげとなります。子どもは自分の個性を自由に生きることができなくなって、精神的な死を経験することになるかもしれません。このように「母なるもの」のアーキタイプは、産み育てる面と呑み込んで死に至らしめる面の両方をもっています。

対立するものが出会って変容が起こる

フラワーエッセンスの前提となっているのは、外側の自然(植物)と内側の自然(こころ)が呼応し合うということと、上記のアーキタイプの両極性と同じように対立するものが出会い、より全体になって変容が起こるということです。

次の文章はFESの『フラワーエッセンス・レパートリー』の中で、フラワーエッセンスの作用原理が、ホメオパシーとも従来の医学の薬とも違うことをミムルスを例にして述べられている箇所です。

 例えばミムルスのエッセンスは「日常的な恐れ」に対応する。これはこのような恐れを感じない健康な人が大量にとっても、ホメオパシーの類似の法則で予想されるように恐れを生み出すということはない。また相反的に働く精神安定剤のように恐れを埋めてしまうわけでもない。ミムルスのエッセンスを服用すると、自分の恐れについて非常に敏感に、意識的に感じ始めることはある。この恐れは、自分の内に存在していながらこれまで意識にのぼっていなかったものであることもある。ミムルスはこの恐れに直面するように励まし、このようなチャレンジに立ち向かうのに魂が必要とする強さを目覚めさせてくれる。したがってミムルスは「恐れと勇気」の極性に基づいて働き、魂がより高いレベルの統合に到るのを可能にするといえる。恐れを取り除くのではなく、恐れに直面する勇気を持つのを助けるのだ。こう理解すると、フラワーエッセンス療法は、対極にあるものがより高い総合の状態に統合される、アルケミーの「対極の統一」法則に当てはまる

パトリシア・カミンスキ、リチャード・キャッツ 『フラワーエッセンス・レパートリー』 王由衣訳、BABジャパン、2001、54p

フラワーエッセンスの両極性をどう理解するか

これを普通の言葉でいうと、私たちが意識しているのは「恐れ」だけれども、こころのもっと深いところには「恐れ/勇気」の全体があって、この両者に意識の光が届くことで新たなバランスに到り、眠っていた「勇気」が目覚めてくるということだと思います。

フラワーエッセンスを使っていくうえでは、この両極性を理解していくことが大事だと思います。適切なエッセンスを選択したり、その効果を最大限に受け取るために、目指すのは1から5に近づいていくことだと思います。

  1. キーワードだけの理解。
  2. 知的な乾いた情報としての理解。
  3. 物語や人物像のような生きたイメージとしての理解。
  4. 生きたイメージが自分の経験に結びついた理解。
  5. 生きたイメージが植物の特徴や存在感と結びついた理解、そして植物との信頼関係。

参考文献

・パトリシア・カミンスキ、リチャード・キャッツ 『フラワーエッセンス・レパートリー』 王由衣訳、BABジャパン、2001、54p
・エドワードバッチ著、ジュリアンバーナード編