「癒し」と輝き始める傷跡

2025年11月1日

「癒し」ってどういうこと?

普段は普通に過ごしていても、
ふとした瞬間に
孤独に感じたり、
自分を責めていたりすることはありませんか?

そんな時、
「癒されたい」と感じることはありませんか?

「癒されたい」と感じるとき、
わたしたちは「癒し」ということを
どのように捉えているのでしょう?

「癒える」ってどういうことなんだろう?

「癒し」というとき、
多くの人が思い浮かべるのは
「傷が癒えて治る」
そんなイメージではないでしょうか。

傷は「取り除かなければならない」もの?

その場合傷は、
自分にネガティブな影響を与えるもので、
体の怪我や病気の原因のように
治さなくてはいけないもの、
取り除かなくてはいけないもの、
書き換えなくてはいけないものとして
捉えられているように思います。

そのような面は確かにあります。

けれども、人生全体をうつすような地図を広げて
その中で「傷」を見たとき、
そこにはアイデンティティと呼べるようなものや、
人生そのものが、
深くかかわっているのではないか。
そう思うのです。

もちろん、傷をそのように捉えるには、
人それぞれにタイミングがります。

そのタイミングを待つことが大事です。
今、深い傷に苦しんでいる方は、
無理に向き合おうとしなくて大丈夫です。

たとえばフラッシュバックがあるようなときは、
傷を傷として見ることが難しい状態ですから、
まずはそれを軽減したり、緩和したりすることから
始めることになるでしょう。

まずは安全を確保すること。
必要であれば専門家の助けを借りることも大切です。

傷を生きる?

自分自身のことを振り返って思うことは、
癒しは傷が癒えるというよりは、
傷を生きるとでも言いたいような感じがします。

傷に人生を支配されるのではなくて、
主体的に傷の物語を生きてやろう、
とでも言いたくなるような、
傷に触れたからこそ生まれる力がある、
とでも言いたくなるような気持になるのです。

人生がいざなう癒しの道

傷に向き合うことは
決して簡単なことではありません。
広い地図の中では
それぞれの人に独自のタイミングがあり、
独自のペースがあります。

向き合わざるを得ない過程で
ある時期さらなる苦しさを伴うこともあります。
それをこの世界での個人的な関係の傷つきと捉えて
原因ー結果で結び付けられなくはないですが、
それよりも、自分のたましいとでも言えるものが
かかわっていると捉える方が
私にはしっくりきます。

ちょっと極端な言い方かもれませんが、
癒しは、スピ系や心理学の理論の「枠」に自分をはめて答えを求めることではなく、
どうすれば癒えるかを知っているのは、
その人の傷そのものだと思います。
その人の人生だと思います。
だから、傷と対話して、
人生と対話して、
他者とかかわって
答えを見つけていくしかない。
それは操作できるものには思えません。

傷は、輝くことができる

自分の傷を実感して
それを何とか克服しようとする過程で、
深いところで、同じような傷を
共有しているかもしれない人たちに出会います。
そうすると自分の傷と癒しの意味が
単に自分だけのものでは
なくなってきたように思います。

傷をもたない人など一人もいない
―もちろん、その時点でその人がどう自覚しているかは別として―わけですから、
傷の物語を生きる人の存在は、
他の人たちの希望になり得ます。
同じような根の傷の物語をもつ人たちの、希望です。

気づいてみると、
自分をここまで連れて来てくれたのは
傷だと言っていいと思います。

傷は単に癒えなければならない
ネガティブなものではなくて、
自分をいざない、自分のなかの未知の可能性を
引っ張り出してくれた存在でもあります。

日本には金継ぎという伝統技法があります。
割れた器を、金や銀で継いで修復する方法です。
割れた痕跡を隠すのではなく、
むしろその亀裂を金で際立たせることで、
器は以前よりも美しく、唯一無二のものになります。

金継ぎ

傷もまた、そうなのかもしれません。

その意味では癒しは、傷を治すというよりは、
傷がその人によって生きられ
――傷がその人を支配するのではなく――
傷(傷跡)が輝き出すことかもしれません。
その輝きは希望です。

あなたの傷は、あなただけのものです。
その物語を生きるペースも、タイミングも、
あなただけのものです。

あなたの傷が輝き始めるとき、
それは確かに、誰かの希望になります。


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癒し

Posted by takahara.daisuke