『臨床家 河合隼雄』を読む
僕が「心のこと」に興味を深めていった一番のきっかけは、NHKでたまたま見た、河合隼雄先生の京大の退官記念講演だったし、先生の著作にこれまで幾度となく支えられ、勇気づけられてきました。
一度だけ京都の講演会のとき会場の一番後ろに立って、お話を聞いたことがあるだけですが、著作を通してたくさんの大切なことを学ばせてもらってきました。
あちらへ旅立たれてから、その先生が一度だけ、夢の中に現れたときには、それはもう・・・・・。
そして、僕は勝手に、先生のご迷惑も顧みず、心の師と仰いでいるわけですが、今回『臨床家 河合隼雄』と『思想家 河合隼雄』が岩波現代文庫から復刊されたことをきっかけに、『臨床家 河合隼雄』を読み返しています。
今日は次のところで、自分の内側が物凄く揺さぶられました。人の人生の重みを前にして自分の存在をかけてセッションの場に生きるってこういうことなんですね。
・・・本当は薬などに頼らず、この人の苦しみを自分が受け持ち、ああ、この人はだれにも相談せず、だれにも頼らず、ひたすらひたすら重荷を背負ってきたのだと感じ取るのが治療者として正しい在り方なのは間違いないが、それはなかなかできることではない。自分でも、こういう人には何かをしてしまうことがある。そうしないと治療者の心のほうが死んでしまい、治療にならなくなってしまうからだ。
しかし何かするときには、なるべく当たりさわりのないことをするのが大切である。一番当たりさわりのないことというと、たとえば、ファイルの色を変えることがある。今度は赤でいこうかとか、今まで青の紙に挟んでいたのを赤に挟んでみようとか、そんなことをしてもほんとうに、何の意味もないけれど、そのことを考えるだけで、ちょっとだけ治療者の心が生きてくる。・・・
(『臨床家 河合隼雄』谷川俊太郎、河合俊雄編、岩波書店、2018, p.58)
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません