自分のためにフラワーエッセンスをつくる経験

2024年9月16日

日常生活のなかで不安やズレや生きにくさを感じたり、自然とつながりを取り戻したいと感じる、多くの人に「自分のためにフラワーエッセンスをつくる」経験をしてほしいと、僕は思っています。 ここ数年ますますそう思うようになってきました。

もちろん、一般に販売できるレベルの品質のものをつくろうということではありません。「自分のために自分でフラワーエッセンスをつくる」体験は、丹念な準備(外面でも内面でも)をすれば、私たちにも可能です。

経験してほしい理由は二つあって、一つは自分の存在の深いところが満たされる経験だから。もう一つは自分ではコントロールできない「自然」との協働を経験できるから。

このことについて少し書いてみたいと思います。個人的な経験を書くことになりますが、よろしければお付き合いください。

自分のためにフラワーエッセンスをつくる経験

音声+画像・動画バージョン

※以下に書い経験を「ノイバラのフラワーエッセンスをつくったときに経験したこと」という9分くらいの音声+画像・動画にしてみました。

ノイバラのフラワーエッセンスをつくったときに経験したこと

心が喜ぶ経験

僕がはじめて自分でフラワーエッセンスをつくったのは、2014年の春、4月の終わりでした。そして翌年の5月にも。その後何度か挑戦して、うまくいくときもあれば、いかないときもありました。けれども、そのどれもが心が喜ぶ経験でした。

想像してみてください。自然のなかで、快晴の陽射しのなかで、谷を流れる風を感じながら、季節の鳥の声を聞きながら、今を盛りに咲き誇る花からフラワーエッセンスをつくらせてもらうことを。

その地に根を下ろし、何度も春を迎えてきた植物。その植物から花をもらって、水を満たしたガラスの器に浮かべる・・・。同じ光や風や、水の音や鳥の声を身体で聞きながら。

自然と対話しながら(自分と対話しながら)進める作業は、自分の内面のとても深いところが本能的に喜んでいる…、そんなふうに感じられる体験です。

のいばら (2015年5月)

フラワーエッセンスを開発したエドワード・バッチ医師自身はフラワーエッセンスをつくることをどのように捉えていたのでしょう。少し個人的な経験から離れてそのことを確認しておきたいと思います。

「望めば、植物を見つけてレメディーを作ることさえ、自分でできる」

バッチ医師は、1934年版の著書 The Twelve Healers and Four Helpers のなかで次のように述べています。

あらゆることが自分ででき、望めば植物を見つけてレメディをつくることさえ、自分でできる。

Edward Bach,The Twelve Healers and Four Helpers 1934

上の文章やそれぞれのレメディーの植物の生育地の情報は、彼の50歳の誕生日に出版された1936年版(彼が生きている間に出版された最後の版)の The Twelve Healers and other remedies からは削除されていますが、1934年版には掲載されていました。

なぜ彼が最終的に削除することを選んだのかはわかりませんが、想像してみることはできます。1936年版にもフラワーレメディーの作り方が残されているのは、フラワーエッセンスを自分でつくるという選択肢を残しておくためではなかったかと思います。

小瓶に入ったフラワーレメディーを通して自然とのつながりを取り戻してほしい。けれども、いつかその先には直接自然とつながる道が開かれている…ことを心に思い描いていたのではないだろうかと思います。あくまで、僕の妄想ですが(^^)

自然とのつながりを取り戻すことで、自分の健康を自分自身の手に取り戻すことができる。フラワーレメディー(フラワーエッセンス)はその道を歩こうとする人の大きな一歩になりうる。バッチ医師は38種類のフラワーレメディーをつくるという体験を通して、そのことを確信していただろうと思えるのです。

自分の力でコントロールできないものと協働する

個人的な体験に戻ると、バッチ医師が言うように、自分のためにフラワーエッセンスをつくることは、手順さえちゃんと踏めば誰にでもできます。けれども、その手順をクリアすること自体が簡単ではないことが、実際にフラワーエッセンスをつくってみるとわかります。

なぜなら、手順を満たすことのなかに、自分の力ではコントロールできな「自然」の要素がたくさん含まれているからです。

まず安全である(農薬などが使われていない)ことが確認できる花を摘むことができ、作業の間、人が来ないような場所が確保できることが必要です。(自分の土地なら理想ですね)さらに近くに湧き水がある。そして、花のエネルギーがもっとも充実しているタイミングに合わせて作業をする必要があります。太陽法の場合には、午前中から正午過ぎまでの3時間余り雲のない晴天の日に限られます。

これらの自然の条件がすべてそろってはじめてフラワーエッセンスは生まれます。フラワーエッセンスをつくろうと決めた人と自然のタイミングがピッタリ合ったときにだけ、フラワーエッセンスは生まれます。それは自分の力でコントロールできないものとの共同作業です。

そのことを一番強烈に感じたのはノイバラのフラワーエッセンスをつくったときでした。そのときのことを少し書いてみたいと思います。

ノイバラのフラワーエッセンス

フラワーエッセンスをつくるとき、つくり手が経験することには、つくり手とその植物との関係を通して植物が語る物語のような面があるのではないかと思います。もちろん、それは因果関係で説明できるようなものではなくて、意味のある偶然の一致というやつです。

以下はノイバラのフラワーエッセンスをつくったときのエピソードです。少し長くなりますが、お付き合いください。

エピソード1

日程はスケジュールの都合上5月21日(2015年)と決めて、実家の岡山でへ向かいました。時期的に考えてノイバラのフラワーエッセンスをつくれたらいいなと思いながら。

前日につくろうと決めていた谷へ行ってみると、ノイバラは開花のピークを過ぎていました。渓流沿いにあるノイバラを見て歩きましたが、どれもエッセンスをつくるのは無理だと仕方なくあきらめました。

「ああ、今回はタイミングが合わなかったんだ。まあ、そんなこともある。これがフラワーエッセンスをつくるってことだ。」

「で、さあどうするか?」

近くの畦道を歩いてみると、ちょうど前年にもエッセンスをつくったニワゼキショウが、生き生きと咲いていました。

「そうか、ニワゼキショウとの関係をさらに深めるチャンスだな、今年は。よし!明日はニワゼキショウでいこう!」

そう決めて、その場を後にしました。

前日の夜9時ごろ外に出ると小雨が降っていましたが、明日は晴れると、なぜか確信していました。そして、深夜3時ごろ外に出てみると、空には降ってくるほどきれいな星が輝いていました。

★ ★ ★

当日は幸運にも雲一つない快晴でした。はやる気持ちをおさえながら、道具を確認して準備を整え現地へむかいました。

ところが、です。ニワゼキショウのところに行ってみると、ほとんどの花がまだ開いていませんでした。

ニワゼキショウ

「どうしたものか。水を確保している間に開いてくれるかな…。」

とにかく作業を進めないと、と思って小さな川を渡って少し歩いたところにある渓流に水を確保しに行きました。なんとなく昨年とは違う道を通って行きました。道と行ってもその小さな川べりの畦道ですが。

フラワーエッセンスをつくる経験

先を急いで川べりを歩いていると、何かわからない衝撃を受けました。何が起こったのか一瞬わかりませんでした。

「えっ?!」

振り向くと、白い花のかたまりが目に飛び込んできました。そのとき、やっとその衝撃が甘いバラの香りだとわかったのです。

そこにあったのは今を盛りに咲いているノイバラでした。

「こんなところに…」

反対側の川岸からは他の植物の影になって見えない位置です。実際はどうかわかりませんが、僕の心のなかで起こったことは、いったんあきらめたノイバラがその香りで自分を呼び止めてくれた。そう思えました。

「やはりノイバラでつくろう。呼び止めてくれたこの花でつくらせてもらおう」

そう考えながら水を汲みに行きました。戻って来るまでに頭をフル回転させて、ニワゼキショウからノイバラに変更するために、場所の移動など段取りを組み立て直し、戻るとすぐに組みなおしの作業を開始しました。

花を変更したために増えた作業をうまくこなせるだろうかと、かなりプレッシャーを感じていた僕は、準備をしながらうわ言のように「自分がつくるんじゃない、いっしょにつくる、つくらせてもらう」と何度も何度も一人で繰り返し呟いていました。

「もし、ノイバラがつくることを許してくれるのなら、必ずなんとかなる。自然の声を聞いて、自然に助けてもらって作業を進めていくしかない。自分がつくるんじゃない、いっしょにつくる、つくらせてもらう」

そうやってノイバラのエッセンスは生まれました。

そして、すべての作業を終えて12時25分に、よし終了!と思って花を取り出そうとしたちょうどその時、太陽が雲に隠れて影ができたのです。

朝は雲一つない空でしたが昼頃には雲が出始めていたんですね。僕はそのことにまったく気づいていませんでした。

「よし、完成!!」

と心のなかで言って作業を終える段階に入った瞬間に太陽が隠れる。そのタイミングの見事なこと!

ちょっと出来過ぎていて嘘でしょと思いますよね。でもね、これ本当の話なんです。心のなかで展開していることと、外側で起こっていることがピッタリと一致する経験。

「こんなコンステレーション、誰がアレンジしたのだろうか…」

エピソード2

ノイバラのフラワーエッセンスをつくるときに、もう一つ印象的なことがありました。それはノイバラの枝から花を摘んでいるときのことでした。

バラの棘が左手の人差し指の先に引っかかって刺さってしまいました。チクッとした痛みを感じて指先を見ると、赤い血はみるみるうちに直径2、3mmの半球をつくりました。

白い指の上にできた小さな赤い血。それを見て僕は、

「そうか、生きる、ってことなんだな」

と思いました。なぜそう思ったのかはうまく説明できないのですが、自分の命(血)を賭けて「生きる」ということなんだと思いました。直感的に。

自分を超える「自然」とのつながりを経験する

上に書いたノイバラのフラワーエッセンスをつくるときに経験したことは、とても深い体験として、それ以後ずっと自分の活動の底を流れているように感じます。一つの夢のように、折にふれて僕に語りかけてきて、その度に少しずつこの経験を消化していっているように思います。

自分のなかでいったんあきらめたことにもう一度本気で挑戦したいと思うとき、自分にできることをして、それ以外の変えられないことについて起こってくることを信頼しようと思うとき、深いところでノイバラが支えてくれているように感じます。

これは僕個人の経験ですが、もしかしたら個人を超えて共有できる部分があるかもしれないと思うし、みなさんと植物の間の物語を共有できたとしたら、とてもうれしいなと思うのです。

自然とつながりたいと感じる、できるだけ多くの人に「自分のためにフラワーエッセンスをつくる」ことを経験してほしいと、僕は思っています。


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