「わたしの物語」を信頼する
東京でのヒーリングキャラバンが無事終了
東京での2日間のHealing Caravanが無事終了しました。来てくださった13名の方々、本当にありがとうございました!一人ひとりの方が「わたしの物語」の季節を前に進んでいく手助けに、少しでもなればと祈ります。
ヒーリングセッションに来てくださる方々が期待されること、希望されることは、本当に様々です。今回の方々がというわけではなくこれまでの経験から言って、肉体的な不調、人間関係のこと、心理的なこと、精神的なこと、たましい的なこと・・・、生きていれば誰もが多かれ少なかれ抱えている問題や課題です。もちろん、私たち療法家やヒーラーも例外ではありません。
わたしの物語への信頼
そうした課題や問題の解決にヒーリングやフラワーエッセンスでアプローチするのですが、Healing Caravanのアプローチの仕方は少し違っているかもしれません。課題や問題を解決しようとする前に一番大事にしているのは、その方の物語、それぞれの方がもっておられる「わたしの物語」への信頼です。その物語がもつ力への信頼です。今日まで生きてこられた物語。明日から生きて行かれる物語です。
私たちは誰でも皆「わたしの物語」をもって生まれてくると思っています。といっても、「わたしの物語」は、最初から決まっているとか、答え(?)がわかるようなものではなく、誰もがそれを生きながら同時に「わたしの物語」をつくっています。
(確かにコンステレーションを体験するときには、その完璧さに、これは偶然であるはずがない、決まっていたに違いないという感覚になりますが…。)
本当にそれに触れられるのは「わたし」だけで、どんなに有能なサイキックにも内からそれに触れることはできない。そんな物語を誰もがもっていると思うのです。物語そのものというより、物語が生み出される可能性のようなものと言った方がいいかもしれません。それが現実の世界にどう展開されるか、つまりどんな物語になっていくかは、私たち一人ひとりにかかっています。
変なたとえかもしれませんが、物語は、その人の人生のどこを切っても中心には同じ絵柄(独自の物語が生み出される可能性のようなもの、生き生きと変化することのできるイメージの元のようなもの)が出てくる金太郎飴のような感じです。う~ん、はやり変なたとえですね。
物語が行き詰るとき
物語には、ときに困難なこと、うまくいかないこと、落胆するようなこと、絶望するようなことがどこかのタイミングで起こってきます。どこかでうまく展開しなくなることがある。行き詰ってしまうことがある。
一般的な「療法」と呼ばれる多くのものが目指すのは、その展開を阻んでいる原因を見つけてそれを排除したり、修正したり、矯正したりして望む結果を得ようというものです。その視点はとても大切だと思うのです。自分のことに論理的に取り組むことができることは大切です。一方でその味方のデメリットは、自分のなかに、あるいは自分の物語に、外側から見て治さなくてはならないものがあるとか、欠けていて埋め合わせなくてはならないものがあると感じてしまうことです。そう感じるとき、私たちは「わたしの物語」そのものを、わたしのものとして受け入れるのが難しくなるのではないでしょうか。
わたしの物語にはたらいている「いのち」の力
Seeds of Angelicaのアプローチの土台は、その行き詰まりの原因を見つけて排除したり、修正したり、矯正しよう、ではなくて、その物語の中心に降りていってそれに触れてみよう、それと対話してみよう、です。そして、できるだけ物語全体を理解し、その力をとことん信頼していこう!です。
わたしの物語には、物語を展開させる力や可能性はもともと内在されています。行き詰まりを超えていく力も、糸口も、物語自体のなかに含まれています。その力は、より自分自身になっていく過程をプロモートする「いのち」の力(たましいの力)です。植物が自分の花を咲かせるのと同じ力かもしれません。
だから、それぞれの方の物語を大切にし、できる限り信頼したいと思っています。そのような場や器となることで、物語が次の季節に展開していく手助けができると思っています。決して順風ではない物語自体がその細部に宿している宝物に再会し、「わたしの物語」!と感じながら、いきいきと生きていかれることを手助けできたらと思っています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。もし、何か参考になったり、この記事いいなと思われたら、💚のボタンを押していただけるとうれしいです。
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