小瓶に入った液体はフラワーエッセンスの半分
自然のなかに身を置いたり、そこに咲く花と時間を過ごして、思い出す感覚
自然のなかに出かけて行って、
その土地の空気や日差しのなかに
身を置いて呼吸していると、
私たちの心は自然とほどけていきます。
そのときに改めて
自分の心が普段は
きゅっと緊張してることに気づきます。
自然のなかに咲く花を見て
心を動かされたり、
谷を渡る風を感じたり、
生き物たちの音のなかに身を置くとき、
ふと忘れていた感覚が
よみがえってきます。
自然のなかに身を置いたり、
そこに咲く花と時間を過ごして、
忘れていた感覚がよみがえることと、
フラワーエッセンスが
私たちの心にはたらきかける力とは、
地中の太い根でつながっています。
自分のためにフラワーエッセンスをつくる経験
このことをもっとも直接的に経験できるのは、
実際に「自分で自分のために
フラワーエッセンスをつくってみる」ことです。
「えっ、フラワーエッセンスって自分でつくれるの?」
と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
もちろん、一般に販売できるような品質のものを
つくることとは別のこととして、
「自分のために自分で
フラワーエッセンスをつくる」ことは、
丹念に準備(外面でも内面でも)を整えれば、
私たちにも可能です。
小瓶に入ったフラワーエッセンスはフラワーエッセンスの半分
現在「フラワーエッセンス」は、
作り手(フラワーエッセンス・メーカー)が
つくったものが
小瓶に入れられて販売され、
それを購入して使うというのが一般的です。
自然のなかに出かけていかなくても、
野に咲く花の癒しの力を
私たちの心に届けてくれるのが
フラワーエッセンスの良さですが、
小瓶に入ったフラワーエッセンスだけしか
見ていないと、
フラワーエッセンスが生まれることを
可能にしている自然や花そのもののことを
忘れてしまいがちです。
小瓶に入ったフラワーエッセンスを
使うという現在の一般的な形は、
フラワーエッセンスが生まれ、
それが使われる過程全体から見れば
半分と捉えることもできます。
本来フラワーエッセンスは、
自分のために、自然の中に出かけて行き、
花(植物)と出会い、
フラワーエッセンスをつくって、
それを服用するという過程すべてを
フラワーエッセンスの全体と
捉えてもよいのではないかと思います。
望めば植物を見つけてレメディをつくることさえ自分でできる
現在のような形は、
フラワーエッセンスを開発したエドワード・バッチが
当時の状況のなかで最善と思われる形、
少しでも多くの人の手に届くことを優先して
採用した形だろうと思います。
実際に彼は1934年版の著書
The Twelve Healers and Four Helpers のなかで
次のように述べています。
あらゆることが自分ででき、望めば植物を見つけてレメディをつくることさえ、自分でできる。
上の文章やそれぞれのレメディーの植物の
生育地の情報は、
彼の50歳の誕生日に出版された
1936年版(彼が生きている間に出版された最後の版)の
The Twelve Healers and other remedies からは
削除されていますが、
1934年版には掲載されていました。
なぜ彼が最終的に削除することを選んだのかは
彼にしかわかりませんが、
次のような勝手な想像が膨らんできます。
とにかく今(1936年当時)は
小瓶に入ったフラワーレメディーを通して
自然とのつながりを
一人でも多くの人に思い出してほしい。
けれども、いつかは、
その同じ道の先に
直接自然とつながる喜び
(望めば植物を見つけて
レメディをつくることさえ
自分でできる)を経験してほしい…。
そんなことを思い描いていたのではないかと
勝手な想像を巡らせてしまいます。
フラワーエッセンスを服用することを通して、
あるいはその道の先にある、
自分のために
フラワーエッセンスをつくることを通して、
私たちは、自然とのつながりを取り戻し、
自分の健康を自分自身の手に取り戻すことができる。
たましいとのつながりを取り戻し、
自分が生きる意味を
自分の手に取り戻すことができる。
彼は38種類のフラワーレメディーと
1種類のフォーミュラを
つくる経験全体を通して
確信していただろうと思います。
自然の中に出かけて行き、
花(植物)と出会い、
自分の手で
自分のためにフラワーエッセンスをつくって、
それを日常に持ちかえり
服用するという過程すべてを
フラワーエッセンスの全体と
捉えてみてはどうでしょう。
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