2つの世界とわたしの物語を探す旅… 6)内界の声の住人

日常の現実という 鏡に映る私の姿と 内界の声にならない声が どんなふうに 物語を紡ぐ糸で 結ばれているか。   わたしの物語の糸が 自分の手に確かに触れるとき、 それはわたしの傷のありかが 露わになるとき。 何が自分の深い心にとって 大きな痛みなのか、 大きな葛藤なのか。   内界の声の住人に 敬意を払い、 声にならない声に 耳を澄ます。   そうして 私たちの胸を満たすのは、 封印されたものの叫びと、 けれども、 決してそのまま叶うことのない 原初的な願望、 それを捨てていかねばならない悲しみ。...

2つの世界とわたしの物語を探す旅… 5) 物語を紡ぐ糸

  起こった出来事の利害や どちらが正しいかといった 日常の意識の下に下りて 心の中の空気や、 熱や、 塊や、 震えや… そういう内界の 声にならない声の住処を 訪ねる理由は、 私たちが自分が縛られている物語に なかな気づくのが難しいからです。   たとえば、物事がうまくいかなくて 世界が自分のすることを まるで邪魔しているように 感じるとしたら、 そこに物語が隠れているかもしれません。 神様に文句の一つも 言いたくなるとしたら、 自分が疑っていない現実に 物語は隠れているかもしれないのです。  ...
2つの世界とわたしの物語を探す旅… 4) 置いてきたもの

2つの世界とわたしの物語を探す旅… 4) 置いてきたもの

  自分を縛っている物語が あるかもしれないと気づくことは、 他の誰かではない「わたしの物語」を 探す旅の始まりです。   自分を縛っている物語が どのように自分を捉えたのか。 日常の現実と内面の世界が どのように重なり合い、 どのようにつながっているのか。   私たちには、 厳しい季節を超えていくために、 封印されたものがあり、 分断されたものがあり、 置いてきたものがあります。   ほとんどぼやけてしまって 本当にあるかどうかさえ定かでない、 そういうものになっているかもしれません。...
2つの世界とわたしの物語を探す旅・その2

2つの世界とわたしの物語を探す旅・その2

フツーやリソウといった世間の物語、 誰かに言われたり、何かに書いてあったりしたような借り物の物語、 何がいけなかったのかといった原因探しの因果の物語・・・。 一見すべてをわかりやすく説明してくれて、 つじつまの合うように思える物語の力は強力です。   私たちがいったんその物語にとらわれてしまうと、 自分の身に起ることをその文脈でしかとらえられなくなって、 堂々巡りに陥りかねません。 フツーやリソウを生きようとして、 どうしても埋まらないものを嘆いたり、 誰かが教えてくれる手軽に手に入る物語で...
2つの世界とわたしの物語を探す旅

2つの世界とわたしの物語を探す旅

私たちは「自分のものだと思い込んでいる物語」にとらわれたり、縛られたりすることがあります。フツーやリソウといった世間の物語であったり、誰かに言われたり、何かに書いてあったりしたような借り物の物語であったり、あるいは、何がいけなかったのかといった原因探しの因果の物語であったり・・・。一見すべてをわかりやすく説明してくれる手軽な物語は私たちを捉えて離さない力をもっています。しかも、私たちはそういう物語に自分が捉えられているとは、はっきり意識していないことの方が多いのかもしれません。...
2つの世界と旅

2つの世界と旅

おはようございます。 いきなりですが、昨日の続きから… 生きづらさというのは、 封印したものに関係しているのではないかと書きました。   子どもの私たちや、思春期の私たちは 地上の世界(日常の世界。内的な世界に対しての外的な世界。宗教的な意味合いはありません)で 生きていくために、 なんとか自分が納得できる「物語」が必要です。   そういう物語を誰もが生み出しながらここまで来たわけですが、 その物語にうまく組み込めないものは 封印せざるを得ない。   大人になった私たちにとって...