「自我」についての誤解とフラワーエッセンスの選び方
自我は偽りの自分?
ネットを検索したりしていると、ときどき「エゴは偽りの自分で潜在意識が正しい」みたいなことを目にして、???となります。
「エゴ」って自我のことを言っているのでしょうか?
潜在意識って無意識のこと?
そもそも、自我(エゴ)と無意識(潜在意識)を対立する存在として捉えるの?
といった疑問がどんどん湧いてきます。
個人的には自我はたましい(無意識)のための安定した器になることが目的だと思います。
自我とたましいが協力しあってはじめて幸せとか健康があるんだと思うのです。
僕らにできるのは、そういう無意識に開かれた安定した自我を育てることだと思うのですが。
自我についての誤解
「エゴは偽り」という考えの結果かもしれませんが、フラワーエッセンスを選ぶときに主観的な関与はバイパスした方がいい、できるだけ関与させない方がいいと考える人がいます。(*1)
こういうことを考えると、心の主観的な関与を排除した、ある意味機械論と同じような客観性とか、あるいは逆に偶然性に任せる方が正しいと考える人もけっこう多いのかなあと思います。
かなり自我についての誤解があるんじゃないかと思ってしまいます。未熟な自我=自我と捉えられてしまっているのかもしれません。
たましいの声に耳を傾けることのできる自我を育てる
エドワード・バッチがフラワーエセンスの性質を簡潔な文章にまとめ、自分に照らして選べるようにしたのは、私たちの健康や幸せを専門家任せにするのではなくて、自分自身の手に取り戻すという意味があったと思います。
フラワーエセンスを選びながら、フラワーエッセンスを使いながら、たましいの声に耳を傾けることのできる自我を少しずつ育てていくことができるように。
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*1:そうした選び方自体を否定しているわけではありませんが、自我の関与を排除する方が正しい答えが得られると誤解して、いつもそうした選び方を採用してしまうのはもったいなさすぎると思います。
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