すべての人のなかのリトル・ゴーファーに祝福あれ!

「リトル・ゴーファー」は、
インディアンペイントブラッシュの伝説に登場する
ある少年の呼び名です。

インディアンペイントブラッシュ
FESのフラワーエッセンスにもなっている花で、
生命力や大地の力に根ざした創造性
発揮するのを助けるエッセンスです。

インディアンペイントブラッシュをはじめてみたのは
FESの研修のときでした。
本当にブラシを逆さまにしたような花で、
夕焼けのような赤~オレンジの色!!

インディアンペイントブラッシュの伝説

平原を旅して暮らす先住民部族に生まれた少年は、
体が小さくて、
仲間の少年たちが馬にまたがり弓を射たり、
レスリングしたりするのに
なかなかついていけませんでした。

彼はみんなから「リトル・ゴーファー」
と呼ばれました。
(※gopher:ホリネズミ)​

幼いころから、​皮の切れ端や木片で
​おもちゃの戦士をつくったり、​
​つるつるした石に​​木の実の汁で​
​色を付けたりするのが大好きでした。​

​部族のシャーマンは​、
​お前は戦士になる他の者と​は違う道を歩くけれども
皆とは違った理由で名を遺すだろう、と​言いました。

​その部族には、一人前の男になるために
一人で丘に出かけて時間を過ごす儀式がありました。
一人丘に出かけた彼は
そこでドリームビジョンを見ました。

突然空は一面雲に覆われ、雲の中から
丸めた鹿革をもった若い女性と
絵筆(ブラシ)と絵具皿をもった長老が現れました。
リトル・ゴーファーが、戦士たちの偉業や
シャーマンのビジョンを
絵に描くようになるだろうということ、
そして、夕暮れの空の色と同じほど純粋な絵を
描くようになるだろうということを、彼に告げました。

​リトル・ゴーファーは​次の日から絵筆を​つくり、
​さまざまな色の絵具をつくり、
​動物の皮を集め、絵を描き始めました。

​けれども、彼は​ときどき絵筆を置きたくなりました。​
仲間の​戦士たちと一緒に馬にまたがって
​​出かけたくて​しかたない気持ちになったのです。​
​そんなときはドリームビジョンを​​思い出して​、
一緒に行くことは​​しませんでした。​
​​
​毎晩丘の頂上に出かけ、​​空を埋め尽くす色を見て、​
​どうやってそれをつくればいいか​、
​理解しようとしました。​
​彼は決してあきらめませんでした。

​すると、ある夜声を聞きます。

​「次の日の夕方鹿革をもって​​
夕日の見える場所に​行けば
必要なものが見つかる」という声です。

次の日の夕方​リトル・ゴーファーは​
​鹿革をもって​丘の頂上に行くと​
​周りの地面には​
​たくさんの絵の具のついた絵筆があり、​​
彼はそれらを使って
夕日の色を描くことができました。​

​出来上がった絵を
彼は部族の仲間のところへもっていきました。
​絵筆は丘の斜面に​​残したままでした。​
​次の朝、丘に残した絵筆は​大地に根付き、​
​鮮やかな赤や​​オレンジや​​黄色の花になりました。

​その時から毎年春になると、​
​丘には​​花が咲き乱れ、​人々は踊り歌って​
​リトル・ゴーファーを​​讃えました。​​
​もはや彼をリトル・ゴーファーと​​呼ぶものはおらず、​
​彼は「地上に夕日をもたらした彼」​​と呼ばれました。

部族の価値観とは違う道を歩き通す

リトル・ゴーファーは
「戦士になる」という
部族の価値観が評価する道とは違う、
ある面では非常に険しい、
ある面では幸せな道を歩くことを、
自分の見た夢のビジョンを信頼して決断し、
決してあきらめないで歩き通しました。

絵筆を置いて、
皆と一緒に馬に乗って駆けたいと思うときは、
夢のビジョンを思い出して踏みとどまりました。
なかなかできることではないですね。

僕なんか、何度も皆と一緒に
平原を駆けてしまいます。
けれども彼は夢のビジョンから決して離れず、
それに自分のいのちを懸けたのですね。

まさに他の誰かではない
自分自身になる道を歩いたのだと思います。
彼が自分の世界の純粋さや神聖さ(夕日の色)を
人々と共有したときの喜びを思うと、
本当に心を打たれます。
まさに天にあるものを地上にもたらす
人生をかけた仕事ですね。

天にあるものを地上にもたらす仕事は
何も芸術家だけの仕事ではなくて、
すべての人が日常を通して
行っていることでもあると思います。

日常のなかの何気ない言動に
その人のたましいが
大切にしていることがこめられていると思うし、
それを意識的に創造的に生きることは
誰にもできる機会が与えられています。

すべての人のなかのリトル・ゴーファーに祝福あれ!

リトル・ゴーファーのように、
部族の価値観とは違う資質をもって
生まれてくる人がいると思います。

社会の価値観とのズレを感じたり、
周囲の人たちと自分の感覚が違うことに
生きにくさを感じている人のなかには、
リトル・ゴーファーが住んでいるのかもしれません。

というか、実はすべての人のなかに
リトル・ゴーファーは住んでいて、
それがとても意識されやすい人と
そうでない人がいるのかもしれません。

人生に起こってくるさまざまな出来事が
それまで隠れていたリトル・ゴーファーを
表に連れ出してくることも
あるのではないかと思います。

改めて自分の世界の純粋さや神聖さ(夕日の色)を
人々と共有したときの彼の喜びは
どれほどだっただろうと思います。

すべての人のなかのリトル・ゴーファーに
祝福がありますようにと祈ります。


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