内なる癒し手と癒し手の仕事
最近というか、ずーっと「癒しの器」としてのプラクティショナー
けれども煮詰まってはいるのですが、まだはっきりこうだって言え
「癒しの器」になるというのはどういうことで、どこを目指して進むことなのか。そして物理的な枠組みは「癒しの器」にとってどのような意味をもっていて、どのような役割を果たしているのか。フラワーエッセンス(フラワーエッセンス療法)では実際に「癒しの器」はどのように機能するのか、といったことを何回かに分けて考えてみたいと思います。
内なる癒し手
人が癒えるのは人の中の「内なる癒し手」(自然治癒力)が目覚めることによってですよね。外側の誰かや何かが癒すわけではない、というのは誰もが認めることだと思います。外側の誰かや何かにできるのは「内なる癒し手」が目覚めるのを手助けすることだけですよね。医者だって、ヒーラーだって、薬だって、フラワーエッセンスだってそれは同じだと思います。「内なる癒し手」(自然治癒力)を目覚めさせる手段に大きな違いはありますが。
じゃあ、「内なる癒し手」って何だと言うことになります。何でしょう
そう考えると癒し手の仕事の方向性は、人が自分のたましいにつながることを助けることなんじゃない
歴史をずーっと遡ると、古代ギリシャのアスクレピオス神殿では、「インキュベーション」という治療が行われていたといわれています。incubare は「聖域で眠る」と言う意味です。病人は清めの儀式や沐浴をすませた後に、クリネー(Kline)で眠ることを許されました。クリネーとは寝椅子のことでクリニック(clinic)の語源になった語です。聖域で眠ることを許された人は眠っている間に見る夢によって治療されました。夢が正しければ目覚めたときにすでに治癒していたといわれます。治療は神に委ねられ、人間の医師の仕事は傷ついた癒しの神が現われるための条件を整えることだったというわけです。(*2)
もちろん、インキュベーションには深く信仰の力がかかわっているわけですが、たましいとつながるという意味でもここに癒しの原型(元型)を見ることができます。こうした癒しのルーツから考えても、癒し手は普段の私たちが自分のたましいとつながる場をつくりだす存在だといえるんじゃないかと思います。その方法はさまざまな療法によって違うのかもしれませんが、向いている方向は同じだろうと思います。
*1:河合隼雄『心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI)』 岩波書店 (2010年) 44-52p (「三、心身相関」「四、たましいについて」)
*2:C. A. マイヤー(秋山さと子訳)『夢の治癒力―古代ギリシャの医学と現代の精神分析』筑摩書房(1986 年)97-100p
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