「いばら姫」の物語と日々私たちの心の中で起こること

★この記事は更新から1年以上経過しています★

昔話や神話を、私たちの内面で起こっていることと重ねあわせて考えてみると、とても意味深く示唆的であることがあります。それらの物語や神々は、いわば私たちの心の深層に普遍的に備わっているアーキタイプ(元型)的なイメージといえるでしょう。だからこそ、そうした物語や神話は私たちの心に深く響いてくるのでしょう。

「いばら姫」の物語を河合隼雄氏の解説を参考にしながら、私たちの心のなかで起こっていることとして考えてみることにしましょう。

ワイルドローズ(2015/2/1)

ワイルドローズ(2015/2/1)

子どもがほしいと望んでいた王さまとお妃さまは自分自身の「新しい可能性」を求める私たちの心だと考えてみるとどうでしょう。それは誰の心にも起こっていることだとは思いませんか。

ある日お妃さまのところにカエルがやってきて、お姫さまが授けられると予言します。カエルは両生類です。水の中と陸上を行き来します。水は感情や無意識の象徴とされていますから、カエルは私たちの無意識からやってきて意識へと向かう何かかもしれません。

無意識からやってくるものを私たちは最初「影」として認識するわけですが、カエルのぴちゃぴちゃと寄ってくる感じは、影が忍び寄ってくるときの怖さというか、いやな感じ、不気味さを見事に表しているかもしれませんね。このカエルの不気味さと生まれてきたお姫さまの美しさの対比はとても印象的です。

私たちの心の中でも同じようなことが起こりうるように思います。たとえば夢の中で最初は不気味で得体のしれないものとして登場した存在が、心の変化にともなって次第に形や振る舞いを変え、美しい存在として現れることがあると思うのです。

アマガエル

この物語の背景にはグレートマザーからの自立(母親、または母なるものからの心理的自立)というテーマもあると思うのですが、その母性の否定的な面を象徴するのが、「招かれなかった13人目の仙女」ということになるでしょう。それは個人的なものというよりは、普遍的なものと考えてもいいように思います。

母性(グレートマザーのアーキタイプ)は産み出し、包み込み、育む面と、すべてを包み込み、呑み込み死に至らしめる面とを根源的にもっています。これはフラワーエッセンスでいうとチコリのテーマと重なるところがありますね。チコリの否定的な面が強くなりすぎると、子どもの精神的な自立はむずかしくなり、子どもは精神的な死を経験するかもしれません。

ただし、これは個人的な母と子の問題にだけ帰することのできないことです。それこそ個人の力を超える運命的なものが(アーキタイプ)強くはたらいていることもあると思います。

チコリ

チコリ(2010/7/11)

自分は呪われているのだろうか、罰をうけているのだろうか、これが自分の運命なのだろうかと考えることは、それほど特別なことではなく、長きにわたってことがうまく運ばないときには誰の心に浮かんでもおかしくないことだhないでしょうか。それはひょっとしたら、「招かれなかった13人目の仙女」の呪いのように、私たちに作用しているのかもしてません。

長くなってしまいそうです。この辺でいったん区切りをつけて、続きはまた改めます。

 

コメントを送信

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Shares
Share This