「いばら姫」の物語と日々私たちの心の中で起こること

2022年8月18日

物語や神話と私たちの心の中で起こること

昔話や神話を、

私たちの内面で起こっていることと

重ねあわせて考えてみると、

とても意味深く

示唆的であることがあります。

それらの物語や神々は、

いわば私たちが心の深層で

ある程度普遍的に共有しているイメージと

いえるでしょう。

だからこそ、

そうした物語や神話は

私たちの心深くに響いてくるのでしょう。

「いばら姫」の物語を

河合隼雄先生の解説を参考にしながら、

私たちの心のなかで起こっていることとして

考えてみると何が見えてくるでしょう。

物語や神話と私たちの心の中で起こること

新しい可能性と無意識からやってくるもの

新しい可能性と無意識からやってくるもの

子どもがほしいと望んでいた王さまとお妃さまは

自分自身の「新しい可能性」を求める私たちの心だ

と考えてみるとどうでしょう。

それは誰の心にも

起こっていることだとは思いませんか。

ある日お妃さまのところに

カエルがやってきて、

お姫さまが授けられると予言します。

カエルは両生類です。

水の中と陸上を行き来します。

水は感情や無意識の象徴とされていますから、

カエルは私たちの無意識からやってきて

意識へと向かう何かかもしれません。

無意識からやってくるものを

私たちは最初「影」として認識するわけですが、

カエルのぴちゃぴちゃと寄ってくる感じは、

影が忍び寄ってくるときの怖さというか、

いやな感じ、不気味さを

見事に表しているかもしれませんね。

このカエルの不気味さと

生まれてきたお姫さまの美しさの対比は

とても印象的です。

私たちの心の中でも

同じようなことが起こりうるように思います。

たとえば夢の中で

最初は不気味で得体のしれないものとして

登場した存在が、

心の変化にともなって

次第に形や振る舞いを変え、

美しい存在として現れることがあると思うのです。

母なるものからの自立

母なるものからの自立

この物語の背景には

グレートマザーからの自立

(母親、または母なるものからの心理的自立)

というテーマもあると思うのですが、

その母性の否定的な面を象徴するのが、

「招かれなかった13人目の仙女」

ということになるでしょう。

それは個人的なものというよりは、

普遍的なものと考えてもいいように思います。

母性(グレートマザーのアーキタイプ)は

産み出し、包み込み、育む面と、

すべてを包み込み、呑み込み死に至らしめる面と

を根源的にもっています。

これはフラワーエッセンスでいうと

チコリのテーマと重なるところがありますね。

チコリの否定的な面が強くなりすぎると、

子どもの精神的な自立はむずかしくなり、

子どもは精神的な死を経験するかもしれません。

ただし、これは個人的な母と子の問題にだけ

帰することのできないことです。

それこそ個人の力を超える

運命的なものが強くはたらいている

こともあると思います。

自分は呪われているのだろうか、

罰をうけているのだろうか、

これが自分の運命なのだろうかと考えることは、

それほど特別なことではなく、

長きにわたってことがうまく運ばないときには

誰の心に浮かんでもおかしくないことでしょう。

それはひょっとしたら、

「招かれなかった13人目の仙女」の呪いのように、

私たちに作用しているのかもしてません。

つづく

⇒ 「いばら姫」の物語と日々私たちの心の中で起こること(2)

⇒ 「いばら姫」の物語と日々私たちの心の中で起こること(3)

個性化

Posted by daisuke takahara