受け渡されたもの…「集中研修」が形になった経緯
残されたもの
これまで父のことを文字に書くことはほとんどなかった。他界して6年が過ぎたが、あちら側に逝ってから、父の存在はそれ以前とは違って感じられるようになった。
2018年の夏、父は突然他界した。それまでの毎日と同じように(といっても後から考えてみると、いつもとは何か違っていたと母は言うのだが)、それでも、いつものように農作業に出て、倒れた。日ごろから母にはピンピンコロリがいいと言っていたらしいが、まさにその通りだった。
里山の自然のなかで、おおらかに、穏やかに、人とつながって生きた人だった。祖父から受け継いだ棚田を一時はレンガ工場で働きながら、守ってきた。父の代になって減反政策があり、農地でなくなったところも多いが、それでも、毎年春になると草刈りをして、水を引き、苗を植えるという里山の暮らしを父は続けてきた。ある時期家系のルーツを調べていたことがあって、十八代目だと言っていた。山あいの棚田が十八代にわたって受け継がれてきたことは、すごいことだと改めて思う。
その棚田たちがある日突然、手をいれてくれる人を失った。ほとんどの棚田は手つかずになり、セイタカアワダチソウが新しい住人になった。
ふるさとを離れて手にしたもの
父から見れば、高校を卒業してすぐに故郷を離れた息子は、いったい何をやっているのかと思ったことだろう。フラワーエッセンスのことも、ヒーリングのことも、詳しく話したことはなかった。本人でさえ当初はどこを目指しているのか、よくわかっていなかった。社会の基準に自分を合わせることでは見出すことのできなかった「希望」を見つけようと、もがいていた。今振り返ってみると、自分は「たましい」的なことを考えずには、生きていけない人種だった。
そんな人種の人間がほとんど嗅覚だけを頼りに「希望」を探した。そうして師と出会い、フラワーエッセンスを受け渡してもらった。フラワーエッセンスが生きた自然と結び付いた日、たましいが震えた。
土とたましいを結ぶ根
突然逝った父から僕が受け渡されたもの、それは里山の自然と棚田、補いあい助け合う里山の人々のつながりだ。土と、そこに生きる人のつながり。一方、「たましい」を探求する道で受け渡されたものは、フラワーエッセンス。
父があちら側に逝ってから、この2つが地下の太い根でつながっていることが、自分の物語として実感された。父が残した棚田でフラワーエッセンスをつくる経験を提供したいという思いが強くなった。その過程で共有されるたましいの経験は、受け渡された土に新しい命を吹き込むことになる。米作りという形ではないが、自分にしかできない形で父から受け渡されたものを生かすことができる。
「里山の自然の中で自分のためにフラワーエッセンスをつくる」研修は、こんな個人的な流れがあって生まれた。父から受け渡されたものと、「たましい」を探求する道で受け渡されたものが一つになった。散らばっていたピースがぴったりはまるように、フラワーエッセンス集中研修は形になった。
その過程で、「たましい」の価値観を共有してきた仲間の存在のありがたさを改めて痛感した。自分一人では決してできなかった。
そして、これは必然的な流れにも感じられるが、研修の宿泊は、父から炭焼きや、しめ縄づくりを受け継いでくださった、地元に移住してこられた方たちの民宿にお願いすることができた。
こうして生まれた集中研修は今年のゴールデンウィークの研修で4回目になる。
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